そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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ZETMAN#13「葬列」(終)

http://zetman.jp/index.html
脚本:冨岡淳広 絵コンテ・演出:鍋島修 作監:高谷浩利・鈴木勤
 
カリスマ、君のためなら死ねる‥‥を実践した灰谷、マジ岩清水すぎる(笑)いや誰が愛で誰が誠だって話だけどw
結局は灰谷の思うとおりにはならんかったってことか。まあカリスマ化したのが見られればよかったんでしょ、灰谷はw でも最後にビルの隙間の暗がりにいたのって灰谷?よく見えなかったけどルナティック先生じゃないよね?w
話は結構きっちりまとまったけど、コウガくんの本心/翻心はもうちょっと描いて欲しかったって気はする。すごくわかりにくいなあ。「何のために」が抜けると、あの話はちょいわかりにくいと思うんだよな。だってコウガくんはただのヒーロー厨だからな。
ラストはキッチリまとまったけど、原作冒頭部分には繋がらなかった。むしろあれはまだこの先の話ってこともいえるか、そういう可能性はなくはないと思うし。
てことでラストから考えると、バットマンブルース・ウェイン部分を「光」だけで特化したのが天城高雅=アルファスで、バットマン部分を「闇の中の光」で解釈したのが神崎人=ZETMANってことか。コウガが「光だけ」でいられるのは、「ジンの存在」を切り離したからだな。
ジンが言った「お前はヒーローかもしれねえが、もう人間じゃねえな」は、結構端的にコウガの正義=ヒーロー厨を表してると思うけど、それってある意味ヒーローは人間性を持ってては無理ってことで、その意味では中田の思うとおりにはなったってことか。プレイヤーなのにその「人間性」がストッパーになってるジンとはちょうど対比だよな。
そうなると、コウガは「正義のヒーローであること」は捨てられなかったんだろうけど、自分が「正義とは何か?」に答えは出してないってことでいいのかなあ、あのまゆちゃん(上手くやって玉の輿!)との会話だと。
ただ、刑事さんの言うようにコウガが背負った「正義」がどれくらい重いものなのかについては自覚はあるから、それが少なくともストッパーにはなってるんだろか。コウガが正義に対して何か決断を下すときは相応の重さは覚悟してんだよな。まゆちゃんはわかってないかもしれないけど、木葉がコウガの元に戻ってないってのもそういうことだって気がするし。
ジンの場合、人の心ってのはまんま悪(この場合人類の敵)にならないためのストッパーではあるけど、コウガみたいに正義について考えなければいけない類でもないっていうところが、割り切り方として楽だってのもあるのかな。
単にプレイヤーを炙りだして始末するってだけで、人間に混じっておとなしく暮らしたいエボルの人たちがそれを容認してるならっていう条件はあるけど、ってことだし。エボルからしたらジンが完全に覚醒してカリスマ化しても困るのは確かだしな。
結局のところ、原作では触れてるプレイヤーの人権?とか作られた者の存在意義とか、そもそも非社会的な目的のためにプレイヤーを創りだしておきながら、それを狩る側にまわったアマギのやったことを考えなきゃそれでいいって話か。ウヤムヤのうちに現社長のコウガ父が悪ってことになってコウガの父殺しはスルー、ジイさんは責任取ろうとしてるってことで許されたってこと(なのかな?)だし。
まあカッコいいZETのカリスマ化姿も見られたし、1クールで捨てるとこ多かったからこそ、そこら辺の重要部分はちゃんと辻褄合わせてたお陰で結論はきっちり収まったし、アニメはアニメで面白かった。オレの見たかったものはちゃんと見られたよ。
たぶん元ネタの「バットマン」(この最終回のEDを見るに)はある意味自警的(狂った)正義の一例だけど、それをこう解釈したらこういう正義の提示もありって意味で、興味深かったです。もう少し「ヒーロー」と「正義」については突っ込んでもいいような気はするけど、これくらいがキリはいいか。
少なくとも「ヒーロー」=正義ではないけど、コウガは「正義=ヒーロー」でありたいと思ってるんだよな。その歪みが「背負った重さ」になるという。ジン=ZETMANは、そもそもそこに囚われてないからこそコウガの正義がそうなった‥‥ってとこもあるのかなあ。いろいろ考えると面白いネタではあるかも。
最後のエンケンさんのナレーション、そこから映画風のテロップEDとかもメチャカッコ良かったんで、アニメ化自体には満足。
 
ただやっぱ、もう少しアニメという媒体での表現というか絵柄面では考えて欲しいかも。
好みの問題だけど、やっぱり「影をたくさん入れればリアル」という考え方はもう時流に合わないと思うんだよな。センスとして古いというか。
リアルさを上手いことデザイン的な線でアニメに落とし込んでる方が映像としてはとっつきやすいと思う。作画の上手い下手じゃなく。
ネットでちらっと見かけた話だとソフトのセールスは思わしくないっぽいけど、それは話のシリアスさのせいじゃなく作画表現の問題じゃないかって気はするなあ。作画的に上手いけどやりすぎてない回のほうが楽しめたもん。ベルセルク第二章くらいの作画でちょうどいいと思うよ?キャラデザのセンスの問題だけど、漫画っぽさは残そうよ‥‥