そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

平清盛#40「はかなき歌」

http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/
脚本:藤本有紀 演出:中島由貴
 
滋子の心は滋子のもの、法王様の心も滋子のもの‥‥か?w いつもお側にって言ってるだけで寄っかかってはないよなあ。さすが滋子w
ってことで、ここで滋子退場かー
滋子くらいに唯一無二に自分のことを信じられる人がもう少し生きてたら、確かにあの時代の世の中はもっと違ったかもなあ〜と思わざるをえない滋子と後白河他のキャラの描き方やね。
清盛という、他の人とまったく違うものを見てる巨人がいて、権力も握っていて実行力もあって、それがとりあえずは民のための良い国づくりに向いてるから良しって話であって、だから後白河から見ても悔しいしつい比べちゃって自信をなくすこともあるさーってことなんだろうけど、そこで滋子みたいなのがそばにいて支えてくれてたらそりゃ無敵だよなあってことだよな。
で、タイプは違うけど北条政子もたぶん滋子と同じく指針になるようなキャラなんだよな。こっちは源氏の頼朝にとってだけど。

話のほうも、今週は地味にちょー面白かった。
せっかく何度かの戦を経て貴族だけが支配してた朝廷主導の世の中を変えてみても、それが落ち着いたらやっぱりみんな平和ボケで、システムを維持することばっかり考えてる‥‥って、ダメじゃん。清盛いうところの「形ばかりの行事」なんかにかまってられないってのは本道だよなあ。当然信西だってそう言うってのは清盛の言うとおりだと思うし。
弟子だけどそれをわかってないのが西光さんで、自分の器がわかってないよな。これもやっぱり平和ボケの代償か(^_^;)
清盛の今までの朝廷に取り入るための行事やら策略やらがあくまでも目的を達成するための手段だってわからないってことは、やっぱり他の人が凡人ってことだよなあ。偉くなることは目的ではなく、目的を達成するための手段だよって、わからない人はわからないのかもな。後白河は別の価値観を持ってるからいいんだけど。そこら辺の対比は上手く描かれてて面白かった。
その平和ボケが平家の中でもというのは、如何に清盛が独断で仕事してたのかって話だと思うけど。危機感なさすぎるよ、子はともかく孫の奴らは。というか、世界征服的な目的や目標がないから平和ボケるのかしら?
今や平家は貴族だから、武士としての本分は忘れてなくても武の道はそこそこに‥‥という、戦があると思ってない態度に「武力だけでは渡って行けぬ世になったものですな‥‥」といって哀しげな顔をする忠清さんが印象的すぎて忘れられないよ。ガンガレ‥‥( ;_;)
まあ平和ボケと”傲る平家”は紙一重で、面白くない凡人貴族や坊主たちが清盛を陥れようとするのもまあありがちだけど、そんなことしたらどうなるのかわかってないのがやはり凡人か。
そういう奴らにちゃんと目配せできてた滋子がいなくなって、だんだん危うい様子になってきたよ。源氏の方がまたジワジワと描かれて、まさに歴史的Xデーに向かってというハラハラドキドキな最後の2ヶ月、終わりの始まりが始まるよ!
まあただドラマとしてのお話は、滋子がその要だったってのはわかりにくいんじゃないかと思うけどさー。
今回の話って、滋子の死亡フラグ立てんなら清盛と後白河、平家の財力と天皇の権力が結びついてるその要は滋子だったって、しつこいくらいに、今回こそフラグ的に描いてくれてよかったのよ?と思わんでもないよ。滋子が死んだことのあとあとの意味ってそういうことじゃんよ。まあ雰囲気として美しい夫婦愛、いつまでも仲の良い二人を見せてくれた‥‥でもいいんだけどさ。
あと史実的にどうかはわかんないんだけど、滋子が平家の利益を考えて動いてたってんならもっとわかり易かったんじゃないかと思うなあ。このあと清盛と後白河が袂を分かつんだろうし。
やっぱりね、まあ今さら言ってもしようがないんだけど、朝廷内の勢力図とか平家の各方面の繋がりがまったくわかりにくく平面的だから理解し難いんだよなあ。もう少し立体的な視点で平家と清盛を取り巻く時代の変化を描いて欲しかったよ。そういうダイナミズムに欠けるから視聴率が振るわなかったんじゃないかって気はする。特に男の人が見て面白いとは思えんのだよなあ、このドラマ。(重ねて言うけど相方はとうに脱落、惰性で見てる)大河なのに点と点のエピソードを繋いでるストーリーすぎるよ。まあ双六遊びは平面の遊びだから‥‥と言っちゃったらそれまでだけど。(あ、オレ今良いこと言ったって気がするよw)