そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

八重の桜#21「敗戦の責任」

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
脚本:山本むつみ 演出:一木正恵
 
ええ?えええ? なんかよくわかんないうちに修理さんが全面的に悪いことになって、えーと‥‥敗戦の責任取らなきゃいけないの?いやなんでなのかは脚本が上手いのでとても良くわかったけど、なんでそうなる‥‥ ( ̄д ̄|||)
だって誰が悪いって、どう見たって慶喜が悪いとしか思えないじゃん?
つーか、慶喜の恐ろしいところはその行き当たりばったりな決定がすべて本気で言ってるようにしか思えないってとこだよ。容保の扱いも含めてものすごく煙にまかれた気分。なんでそこで容保だけ連れて行く???
時流の流れに流されてるわけでもないんだよな、だって戦況が悪いってわかってる時にあえて玉砕を叫んだのも、そうしないとあの場はダメだったからって自分で言ってるし、ちゃんと空気読んでるんだもん。いやその空気は読まないほうがよかったと思うけどさ、事情を知ってる修理たちは不審に思ってたじゃん。
てことはそれくらい空気読めてないように見えたけど、実際はなんかちゃんと嗅ぎつけてんだよね、自分の保身が出来る方向は。なんにも悪びれもせずそれをやる慶喜、逆にすげーよ。それを自然に演じてる孝太郎グッジョブとしかいいようがないキャスティング。
そして修理さんが言ってた「江戸へ戻ったほうがいい」ってのは、全軍の兵士たちを置いてこっそり逃げ帰れって意味じゃないよ!
だってどっちにしたって岩倉具視の偽錦旗で幕軍は朝敵で賊軍だよ?(それを岩倉のせいと見破る聡明さ!)
しかも慶喜が逃げたことで幕軍の士気も爆下がったよ!おまけに榎本武揚の船も勝手に持ち去りかよ!いくら幕府の船ったって泥棒だぜ。
そんで結局徳川は降伏って、何のために逃げたんだよ‥‥行き当たりばったりすぎるというか、その場のライブ感で判断し過ぎだよ慶喜‥‥( ´Д`)
 
会津の方はいろいろ端折られたのかその間のエピに大したことがなかったのか、慶喜と容保が江戸へ逃亡したって聞いて、探しに行った修理が戻ってこないうちに修理がそれを吹き込んだって話になって全軍江戸へ引き上げになって、次のシーンではもうみんな江戸の会津藩邸にいて修理は藩邸に幽閉‥‥って話の展開が早すぎるだろって思ったけどさ。ビックリしたw これ、新撰組榎本武揚と一緒に関東に戻ってるから、会津藩士たちも全員じゃないだろうけど船なのかな?あの状況でよく無事にみんな江戸に戻ってこれたなあ。
まあ結果として修理が容保の逃亡を庇ってその責を負ったけど、ちゃんと誤解は解けた、でもあえてすべての責任を取ることになったってのがわかればいいんだけどさあ。官兵衛とかかなり酷いこと言ってたじゃん。あの状況に捜索空振りで戻ってきた修理の針の筵の状況を想像するだに気の毒すぎるとしか‥‥
脚本的にはそこを潔く端折って想像に任せるってことにしといて、逆にこの1話に修理切腹まで入れて、会津へと繋ぐ、演出的にも徹底的に会津とリンクさせていくってとこで、むしろこの鳥羽伏見の戦いからこのあとの会津戦争へ途切れることなくテンションを保つ意味でも上手いよなあと思ったけど。
そして初陣の三郎も死んじゃったよ‥‥やっぱり姉様の南天の刺繍は死亡フラグだった‥‥(>_<)
三郎の初撃ちを八重と重ねてるのは、三郎にかかった山本家の想いと、これからの八重の往く道の暗示だろうし。
しかし八重の方は、鉄砲を撃つってことは人を殺すことだから、まあその当時の武士のお仕事ではあるけどおなごの仕事ではないから、それを思うとちょっと辛いなあ。三郎が覚馬の分まで山本家を背負って活躍しようという気負いと覚悟を、今度は八重が背負うんだなあ( ´∋`)
かたや容保の逃亡(実質連れ去られ)の責めと会津敗戦の責を全部背負い込まされて切腹する修理さん気の毒すぎる (´Д⊂ヽ
切腹したってことにして逃げてもよかったのに‥‥容保と修理のやり取りはちょっと泣きそうだったよ。つか泣くよ。しかしみんなが惜しんだ才能・修理さん本人がその切腹の意味と価値を一番良くわかってるという。慶喜に押し切られた容保も、江戸に戻ってきてから過ちだったとか言っても後の祭りだろよ。
で、雪さんが神社で祈ってる頃には修理さんは切腹してたってことか。ドラマ的演出だけどこっちも辛いよ。その前に会津にはことと次第は伝わってるから、切腹するだろうってのはたぶん聞いてるんだろうしなあ。ああ。
んで、ここから会津はもっとキツイことに。みんなが惜しむ切れ者・修理さんがいれば‥‥と思ったけど、これ、いても尚之助さんと同じような立場なんだろうなあ。たぶん会津は「ならぬことはならぬ」だから、そのまま官軍と戦う方へしか行かないんだろうってとこがまた悲しい。頑固すぎる。
きっかけはご家訓を盾に取られたことだけど、その後のことは会津の頑固さと融通の効かなさのせいってのはあるのかなあ。たぶん官兵衛みたいな徹底抗戦の考え方の会津藩士のほうが多そう。
あとは薩摩軍に幽閉されてる覚馬さん頑張れ!(一人じゃなくホッとした)会津に戻れるのはいつのことか‥‥( ´∋`)