そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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八重の桜#32「兄の見取り図」

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
脚本:山本むつみ 演出:一木正恵
 
ちょっと閑話休題的な一息つく感じの話だったね。
ここのところ怒涛のように何かが展開してたんでちょうどいいひと休み回でした。やっとオダジョーの新島襄も出てきたし。
2週も遅れてるんでここ見てる人には今更な話だろうと思うのでさっくりと。
前回の感想で八重さんを無学な鈍感女呼ばわりしましたが別に頭が悪い馬鹿女だと思ってるわけではなく、とても純粋で単純だと言いたいだけです。そんなわけで全体には八重さんが今までの田舎的価値観を崩されて新しい価値観を学ばねばと思った話というかね。まあよかったよかったってことで。実際の山本八重さんがこのへんの展開でどれほど葛藤があったのかはわかりませんが。
えーとこれ八重さんってたぶん会津戦争‥‥どころか戊辰戦争(ところで八重さんて会津戦争っていう認識はあっても戊辰戦争っていう括りでの認識はなさそうね←何度も言うけどこのドラマではってことね)がなんで起こってどうして会津が薩摩長州に叩かれなきゃいけなかったのかってのを根本的には理解してないよね。まあそれが普通だと思うけど、そこを問題にして安全地帯から恨みつらみを言う以上は理解しとけよって思うんですけど。斗南に行った人たちはたぶんまた違う感情があると思うけどさ。(現実に八重さんが勉学だのなんだの言ってる今も食うや食わずの酷い目にあってるんだし)
覚馬さんが言ってるのはたぶん「徳川幕府を終わらせたもの」って意味での会津の敵であって、具体的に新政府軍だった薩摩や長州じゃないってことだよね。
そもそも覚馬さんの状況じゃそういう会津の実情は具体的に体感できないのは当然で、それ以前に攘夷でも開国反対派でもなかったわけだし、薩摩や長州と意見を異にしてたわけでもない状態での管見だったわけだしなあ。ある意味戦争前から時が止まってるって言っていいのかしら。まあ会津の中核にいたらどうなってたのかはわかんないけど、それ考えると捕らえられててよかったというべきか。殺されたりしなかったから言ってるけど。
おまけに覚馬は薩摩だの長州だのという以前に個人としての西郷や槇村と知り合いなわけで、八重さんのいう薩摩や長州ってのは会津に仇なす敵としてのイメージ集合体でしかないわけだから、そこからして認識違うよな。自分が子供の頃、吉田松陰とか長州の人たちとも仲良かったことを思い出せよとしか。
まあどっちにしろ八重さんは絶対言うと思ってたけどな、「あんつぁまにはわがんね」って。好きで囚われてたわけでも体を壊したわけでもなかろうに、ホントに八重さんは自分の基準でしかものを考えられない人だよ。
今から学んだとしてもそういうところが変わるとも思えないんだけど、少なくとも単純な八重さんが会津の外はなんか思ってた状況と違うって分かって、知るための勉学に励むというならそのほうがいいと思います。そういう単純さだからこそというか、少なくとも道を間違いはしないってとこが基本的に恵まれてるってことだと思うのよ。会津の他のおなごの人たちと違ってある意味運が良かったってことかと。
時栄さんも受け入れられてよかったよかった。まあその前に、目の見えない覚馬さんの身の回りの世話もだけど、あの覚馬の蔵書を読んで聞かせたのが一体誰だと思ってんだってとこには気がついたほうがいいよな。時栄さんしかいないじゃんていう。
細かくは突っ込みませんが、相変わらず何から何まで細かいとこに気が行き届いたいい脚本だなあ。
ところで西郷さんがやたら会津と薩摩は立場的には同じっていうのは、なんかの布石?西南戦争とか関係あるのかな?まあ武士の気風としては似てるといえば似てるか。
あ、そういや山川大蔵改め浩さんの妹の捨松さんっていつ留学したんだっけ?しかもやたらバタ臭いハイカラ顔の人をキャスティングしたなあ‥‥と思ったら水原希子ってハーフやんか!おいおいそれはさすがにどうよ?(^_^;)しかしざっくり捨松さんのwikiを読んだけどスゴい人だったのね。なんで昔はこういう人が普通にいたんだろう? (@_@) そりゃこのキャスティングになるよねえ‥‥ってことはこのあとも出てくるってことかな。
それとなんとなく、やっと自分の中でかつて歴史で習った「岩倉使節団」というものがどういうものだったのか理解出来ましたw 幕末から新政府設立のこの状況にかけて、錦の御旗を捏造した岩倉具視とああいうことやってこういうポジションにいる人たちの混成メンバーだったわけね。やっと単語以上に理解できたよ。
あとさすがにどーもくんの女装ってのもどうかと思うよ!アイコンの話だよ!(苦笑)