そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

マン・オブ・スティール(IMAX3D・字幕版)

http://wwws.warnerbros.co.jp/manofsteel/
監督:ザック・スナイダー 脚本:デヴィッド・S・ゴイヤー 原案:デヴィッド・S・ゴイヤークリストファー・ノーラン

 
見たよ!映像がめちゃくちゃスゴかった!内容は大変に壮大な自分探しだった!
ただもともと何をどうしても「スーパーマン」だから、あのラストは当然か。むしろリブートなのに、オリジナルの振り出しに戻る感というか(^_^;)
赤パンツを履いてなくても胸の「S」がSUPERの「S」でなくても(今回のそれは文字ですらないらしい)スーパーマンはスーパーマンだよね‥‥としか言えないんだけど、出来自体は悪くなかったと思うな。オレ、自分探しの話好きだしw
映像は何もかも凄かった。
VFXも凄いけど、やっぱりああいう世界観のデザインセンスっていうのはもう日本は敵わないよなあ。見た目のカッコよさ、ちゃんとその世界ではどうなのかという部分で納得できるリアリティあるもんな。いやまあ、異世界様式=アールの付いたデコ様式美+渋めのメカ文明ってのはお約束な様式美だと思うけどw
というかやっぱりクリエイター集団としての分母の問題なんだろか。日本はほぼ白組オンリーだしそもそもSFあんま需要ないし。
そしてそして、バトルのアクションシーンがどう見ても実写ドラゴンボール!リアルなドラゴンボールなんですよ!投げたら相手がビル突き抜けてぶっ飛ぶし、壊すこと自体にはリアリティなしのとにかくマンガ!建物とか被害者とか気になるんだけど、マンガだからしかたがないというか。「ああ、監督はドラゴンボールやりたかったんだなあ‥‥」と思うしかw てか、もうハリウッドには勝てねえ!(>_<)
あと、実のパパのラッセル・クロウがコマンドキーの妖精すぎる(笑)笑うとこじゃないけどちょっと笑ったw(というかサウスパークのせいでラッセル・クロウっていうだけで笑っちゃうんだ!世界ケンカ紀行!http://himado.in/10358
育てのパパのケヴィン・コスナーは、きっと家の裏手に野球場を作ったから赤ん坊乗せた宇宙船が来たんだよ!(笑)
というかクラークが育ったのがカンザスだってのがいろんな意味ですごく効いてた。都会じゃなく田舎の、ああいう農家の真面目でしっかりしてる昔風の両親に育てられたということ、そんな地球で33年間育ったということに意味がある話だからこそ、あの田舎の風景がいいなあと。あと育てのパパの最期、ちょっと泣ける。ケヴィン・コスナーってのはちょい意外だったけど、あの存在はすごく説得力あるね。
そんなネタバレで困るような映画でもないと思うけどいつもの通り気になる人は以下スルーで。あんま深読みとかしないであっさりめ感想にしとくけど。
クラーク・ケント/カル=エルのヘンリー・カヴィルはマッチョだけど顔立ちにイギリス人っぽい上品さがあっていいね。ただヒゲの時とそうでない時の顔の感じが変わりすぎてほんと欧米人って顔覚えづらいw
ロイスのエイミー・アダムスは名前と顔になんとなく見覚えが‥‥と思ったらナイトミュージアム2でアメリア・イアハートやってた人ね。程よく可愛くキュートで特に問題なしw
 
 
一応言っとくとオレ、「スーパーマン」ってあんまり興味ないんだよね。もちろん基本設定とかストーリーは知ってるし昔の映画は見てるけど、最近のリメイクのやつは見てないよ。金ローでやってたリターンズもブライアン・シンガーなのに見てないし‥‥ってくらいには興味ない。だから今回見に行ったのは劇場で予告見て自分探しっぽいから興味引かれたのとノーラン&ザック・スナイダーだから。
最初に言ったように大雑把に言うと自分探し。クラーク・ケントがカル=エルである自分を乗り越えて、最後にみんなが知ってるスーパーマンクラーク・ケントになる話とでもいうか。
スタトレと同じく深い話をエンタメ的に処理してるけど、その辺は最近のハリウッドの流行なんだろか。
表面的に楽しめるのは大事だと思うし、もともとが「スーパーマン」だからそんなに深い話にするほどでもないと思うし、うっかり突っ込むと作品としてちょっと辻褄合わなくなりそうな気がしなくもないような。それぞれの正義が正しいとか種族としての選択の話になるから2時間ちょいでやるにはちょっと難しいかなあ。その辺は「ダークナイト」くらいのお膳立てがあってやっと語れる話だろうし。
オリジナルの「母星が崩壊するから息子を他所の星に送り出した」という親心の話で済めばともかく、そこに種族を残すというSF的要素を入れてくるからクリプトン人カル=エルの「地球人としての」決断が必要になるわけで、でもそっちをあっさりやり過ごして最終的にクラークの自分探しに落ち着いたのは映画としてはまとまってるし正しいかも。
一応ちょっとだけ触れとくと、敵であるゾッド将軍にも彼なりの正義があるから、要はクリプトン人の地球侵略が正しいのかどうか、どういう方法なら許されるのかってとこなのかなあ。
ゾッド将軍の目的は正しいけど明らかな侵略行為でやり方が間違ってたのは間違いない。
でもクラークの実父、ジョー=エルのやったこと、自分の息子に全クリプトン人のDNAを仕込むっていうのもある意味侵略行為で、むしろそっちの方がSF的には怖いような。「時間がかかる」ってそういうことだよね。
知らない間に地球にクリプトン人のDNAを持った人間が混じり込んでその地に根付くという、穏やかな侵略行為(苦笑)いつかクリプトン人の能力と悪い心を持った子孫が現れないとも限らないだろうに。

あとスタトレと同じくやってることの是非を隠して展開させてるなあと思ったのは、あちこちの星を勝手にテラフォーミングして植民星にしていたのがクリプトン人なのに、そこにあまり触れてないからいかにもゾッド将軍のやってることが悪いことのように描かれてるってことかなあ。
まあ確かに話がクラークの目線で進むから、そこまで理解してしまうとゾッド将軍のやってることの非を問えなくなるんだけど。でもゾッド将軍のやってること自体はクリプトン人が今までやってきたことだよね。今の知的生命体としての地球人から見たら非道な侵略行為だってだけで。
それに絡んで、軍が見つけた北極の1万8000年前の宇宙船が過去に地球に来たものだ(植民地としては放棄された?)っていうのがわかりにくかった。
まあそういう自分自身の背景とゾッド将軍がやってきた事情を知って、でも当然地球人の、しかも善の側の正義のメンタリティを持ってるわけだからどちらにしても地球人として対応するしかなく、そこで特に悩まないのはちょっと簡単かなと思ったかな。
彼が悩んでいたのは自分が何者であるのか、自分の能力をどう使うべきなのかということであって、元々のメンタリティは地球人だよね。育ての親に愛情いっぱいで育てられたアメリカの普通の常識的若者で、33歳まで各地を放浪してたからある程度は経験を積んでるんだろうし、善悪の判断も間違わない。そこが揺らがないからこそスーパーマンだとは思うけどw
ちょっとくどかったのは回想シーンがものすごくちまちま入ってるのがうるさかったのと、彼らクリプトン人が「人を殺さない」ということにもう少しわかりやすい描写が欲しかったってくらいかなあ。クラークはあくまでもメンタリティは地球のアメリカ人なんだけど、ゾッドとの対決の最後がああならもっと縛りとしてクリプトン人は絶対に人を殺さないとDNAに書き込まれてるくらいの説明は欲しかったかな。それでこそのあの最後の嘆きじゃないかと思うんだけど。地球人メンタリティ的にあそこで敵を殺すのはありといえばありなんだし。
あとゾッド将軍に地球では能力がパワーアップするって教えたのはクラークだよな?言わなきゃ良かったのにとしか…(^_^;)そういうとこで人が良すぎるのもどうかと思うよ!
まあ作品設定として絶対的正義で、地球人よりも進んだ種族であるクリプトン人のカル=エル/クラーク・ケントが、自分探しをして自らが何者なのかを見出すまで‥‥という話だけど、大前提として大いなる正義であるスーパーマンなわけだし、あまりそっち方向にこねくり回してもバットマンと違って深みが出るわけでもないのかなって気はする。育ちも大事だけどやっぱり生まれは大事だよな、あと種族の記憶ってあるだろうし。
にしても基本、その能力を人助けに使ってはいるけどあいつそれって趣味でやってるよなあ?最後のあれ、完全に自分が困るからってだけで税金で作ったであろう衛星を落としてんじゃん。まあオレでもあれ見たらそんなことどうでもいい、「セクシーだわ」って言うと思うけどw
ああそうそう、ラストのクラークとロイスのキスシーンは「え、なんで?いらねーよな?」と思ったけど、子孫を残すというジョーパパの計画からするとそれを示唆するものとして必要なのかな‥‥と思い直した(ホントか?w)なんかここんとこそういう恋愛的なお約束のないハリウッド大作ばかり見てたから、ちょっと感覚が麻痺してたよw
お話としてはちょっとフックがないからあっさり流し見ちゃうような感じもあるけど、スタトレよりは気軽に見られるかも。アクションは同じパターンが多すぎだから若干飽きるかな。ドラゴンボールだと思えば仕方ないけどw