そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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掟上今日子の備忘録#6

http://www.ntv.co.jp/okitegami/
脚本:野木亜紀子 演出:小室直子 原作:西尾維新
 
今回の話はなんか好きな話です。
というかなんだろう、今回すごく幾原作品、もっと限定すれば「ピングドラム」なニオイがしたんだけど気のせいかなあ?
だってあの自殺しようとした(実際は厄介くんを殺そうとした)彼女ってつまり限りなく「透明な存在」になりたかったんじゃないの?
ちょっと変わってる「世界と自分」を考える少女の話だったってこともあるけど、ぶっちゃけ彼女らが思う「自分は特別」だってことって、そんな特別でもないよ?相対的にいえばみんなそれぞれで変わってて、「普通の人」なんて実はいないもの。
ただ今日子さんが雑誌記者としてカマをかけた時の反応みたいに、そういう「空気」を読むことでみんな自分を「普通」だと思ってる、「普通」のほうがいいと思ってるだけで、実はそうじゃない特別な自分だってのは自分一人がそう感じてるだけでしかなく、全体からしたら相対的な違いでしかないってことなんだよ。それが中学生くらいの多感な少女にはわからない、そうじゃないって思いたいだけなんだよね。ただそこで死んでもいいくらいに思ってるのはちょっと変人だと思うけど、少女の思う命の価値観って自分の恥と天秤にかけられるくらいのものかも知れないと思うのでそこはそういうことで。
そういう意味でも今日子さんの謎解きのあたりから今回の話はわりと確信犯敵に「ピングドラム」なんじゃないかなあって気はしたよ。雰囲気だけね。
あの自殺未遂の何も語らない少女があまりにも何も語らないんだけど、それ故、世界の中で押しつぶされそうな彼女の筋の通しかたが幾原邦彦の作品ぽいというか。
そしてそう考えると、何もかも忘れてしまう、忘れることがわかってても日々生きて探偵をやらざるを得ない今日子さんと、不運ということで恥ずかしい記憶ばかりを持ちながらもそれを受け入れて生きてる厄介くんは、たぶんまったくベクトルは違うけど同じくらいの強さでそれぞれの人生を生きてるんだと思う。それは相対的なそれとは違って絶対的に「変わってる」ってことなんだよね。
あの二人に比べたらあの少女の自分は変わってるという思いは単なる思い込みよね。おそらく大抵の人はそのまま大人、普通のOLになって普通に恋愛して普通に結婚してしまったりする類の「普通さ」なんだけど、感受性が強い子だとそれを認めたくない時期ってあるよねえ。
子供の頃に思う「恥」というものがどれほどのものか、恥は恥なんだけど大人になると相対化していけるはずで、それを笑い話として語ってしまえる厄介くんの強さというのもまた今日子さんと同じくらいに希であるとは思う。
世界に対してどんなに自分が特別であるか(あるいは逆の意味で)と思っていても実際はそうではないことがほとんどだと思うので(つまり彼女から見たら厄介くんは古本屋で「自分を特定した人」だけど、厄介くんからみたら「大勢の中の少女のひとり」でしかない)、少女期のそういう流行り病のような特別感にとらわれないでちゃんと生きたほうがきっと楽しいことがあると思うな。むしろ厄介くんのようにボンヤリと鈍いくらいのほうが楽しいんではないかと、オレはそう思う。