そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

おかしの家#10(終)

http://www.tbs.co.jp/okashinoie2015/
脚本・演出:石井裕也 原作協力:山田タロウ
 
え、まさかのネコ裁判は和解金払って終わり?そんだけ?えー(・_・;)
それはともかくおばあちゃんは養護老人ホームへ。太郎は真面目にスペインレストランで修行。
そして太郎がスペインバル「さくらや」をはじめて5年がすぎて2020年…って、え、そんなに順調にいい暮らしできるようになったんだ。一瞬夢かと思ったw
最終回のサブタイは「忘却」。
最初は30過ぎてあんな状態だった太郎が、結婚してちゃんと働くようになって普通に暮らせるようになって、ああ普通の大人になったんだなあ…と思ってたけど、普通の暮らしができるようになったらそんな普通の日々の暮らしの中でおばあちゃんのことを忘れてしまって…それも仕方のない事なのか (´△`)
何が幸せなのかは過ぎてみなきゃわからないとはよくいうけど、貧乏だったその時はその時でこれが幸せだと思っていたことも普通の暮らしができるようになると忘れていってしまうのもまたよくあることなのか。どっちがいいのかはわからないよね。過去のさくらやでボンヤリしていた時も幸せだったとは思うけど、そんな時は長くは続かないから大事な時間だったのか。
いや幸せかどうかという尺度じゃないな、どんな大切な時間も過ぎてしまったものはもう戻らない、だから寂しいし悲しいんだってことよね。
というかおばあちゃんあってのあの時間はおばあちゃんが忘れちゃったらやはりなくなってしまうものなのかなあ。さくらやもあの裏庭もなくなってしまったし、なくなってしまったものは忘れてしまうんだよな。
三枝は気がついてるんだと思うけど、毎日が日常に紛れていく太郎は気が付かないふりをしていたのかしら。太郎はボケてしまった(おそらく)おばあちゃんという現実を見たくなかったのかもしれないな。なんかおばあちゃんが死んでいなくなってしまったというのよりも、ボケて何もかも忘れてしまったということのほうがつらい。泣けわー (つω・`。)
大人になるって悲しく切ないことだねえ… 清志郎のエンディング曲も最終回はなんか沁みるよ。
でも開店の花輪に島さんの名前があってよかった。三枝もきっと店には来るよね。
毎回30分がちょうど程よい長さで、しかも普通のドラマと違う時間の流れだった。オレも今おばあちゃんと太郎がぼんやり座ってた「さくらや」を懐かしく思うよ。見終わってみればあの空間は何もかも愛おしいな。良いドラマだった。