そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

わたしを離さないで#9

http://www.tbs.co.jp/never-let-me-go/
脚本:森下佳子 演出:山本剛義 原作:カズオ・イシグロ
 
陽光学苑の秘密…の話だったけど、ドラマの流れとしてなんでか友彦の話ですり替えられた感があって微妙?普通の人は友彦(と恭子)が可哀想…でクローン設定のSFファンタジー感はないことになるのかなあ?
というかもともとがそういう話だから、校長が実はクローンだったということ以外はそういうことかーで終わるんだけど、結局その校長が良かれと思ってやった提供者の「教育」というものがむしろ逆効果になってしまったってことだろうか。
それはそれで悲劇だと思うし、オレはどちらかというとそっちの話の方に面白みを感じるんだけど、このドラマとしてはそっちに話をもっていけないのもわかるのでいろいろと…ね(お察し)
「夢」の話と猶予という都市伝説の話もそうなんだけど、これが完全にSFファンタジーならもう少しみんながその猶予の話に希望を託したい、そこに望みをかけるという想いとしてわかるんだけど、このドラマが下手にリアルな現代社会な感じなので(そういうSF部分はちょっとずつ小出しにに見せてる以上)ちぐはぐだなあと感じるよ。
いやどっちにしてもこの話をそのままやると「アイランド」にしかならないので、一般向けのドラマとしては難しいってのはわかるからこうなるんだろうけどさ。だったら別のこととして共感できるようなメタファーネタにすれば良かったのにとは思うけど、そうすると皮肉が効きすぎててそっちも微妙になるかなあ。そういうちゃんとものを考えられる人間を家畜扱いすることを許されないことだと言い切るってのはあったと思うけど、加減が難しいね。
だって校長が陽光の提供者候補に教育をしてものを考えるように育ててもどうせ提供者にしかなれないなら意味が無いし、そこまでやっててもそれ以外の延命ルートがなかったっていうのは社会システムとしてまずいよね。山崎先生はいいけど龍子先生は余計なことをとしか思えないし。ここまで来ると提供者は真実なんて知らないほうがとは思うし。
手に入れた便利なものを手放さないという普通の人たちの気持ちとシステムはともかく、どんなクズでも提供者でなければ生きることができ、どんなに優秀でも提供者であれば殺されるしかないってことに目をつぶってるんだから、そこは考えちゃいけないものになってるんだろうけど。それを受け入れてる社会が怖いよ。
というかどうして校長のお父さんの博士はそのクローンを臓器提供様用にしてしまったのか。それを認める社会がスゴい信じられないな。本当にディストピアだ。
だから校長の気持ちはわかるけど、やっぱり下手に教育なんかしないで外にも出さないで家畜として生かすこと、提供者にとっても一番いいのは「ものを考えない家畜として扱われる」じゃないのかって思うよ。夢も希望もないならね。
柄本佑が「夢なんか持ったことなかった」って言ってたけど、使命に従って素直に死ねるメンタリティを上回る教育は与えるべきじゃないという結論にしか。
介護人とかやらせるからダメなんじゃんよ。いや介護人やってても何も考えずに奉仕する程度の人もいるだろうけど。
でもそういう問題点を全部、話としては夢を失って癇癪起こす友彦でまとめちゃったのがなあ。
恭子もさ、友彦が右手でガードレール殴りつけてるのに「サッカーできなくなるよ」ってそれはどうなのと。普通なら右手だし「絵が描けなくなる」だと思うんだけど、恭子にとって友彦の絵を描くという行為は夢の実現ではなかったと思ってたのかなあ。友彦はを描くのは楽しいって言ってたのに、恭子はそこはあまり大事だとは思ってなさそうなこと言ってたのも気になったんだけど。そういう演出なんだとしたらそれはあの二人の気持ちの超えられない何かだとは思うからいいと思うけどそんなことはないか。
そして八代さんが編集者でチョイ役ゲストw