そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

セッション

http://session.gaga.ne.jp/
監督・脚本:デイミアン・チャゼル

 

2014年・第30回サンダンス映画祭のグランプリ&観客賞受賞を皮切りに世界各国の映画祭で注目を集め、第87回アカデミー賞では助演男優賞ほか計3部門を受賞したオリジナル作品。
世界的ジャズドラマーを目指して名門音楽学校に入学したニーマンは、伝説の教師と言われるフレッチャーの指導を受けることに。しかし、常に完璧を求めるフレッチャーは容赦ない罵声を浴びせ、レッスンは次第に狂気に満ちていく。
スパイダーマン」シリーズなどで知られるベテラン俳優のJ・K・シモンズフレッチャーを怪演し、アカデミー賞ほか数々の映画賞で助演男優賞を受賞。監督は、これまでに「グランドピアノ 狙われた黒鍵」「ラスト・エクソシズム2 悪魔の寵愛」などの脚本を担当し、弱冠28歳で長編監督2作目となる本作を手がけたデイミアン・チャゼル。(「映画.com」より)

 
ずっと録画は録ってあったんだけど「ラ・ラ・ランド」を観に行くのでやっと見ました。
公開時に結局観に行けなかったんだけど、バードマンとかイミテーションゲームとか寄生獣とかと同じ時期ね。短いしささっと行っときゃよかったと思わんでもない。
面白かったけど、解釈に迷う作品ではあるかなあ。てかこれ飴と鞭って言うけどどこに飴があったのか。鞭しか見えねえw
しかしオレは見終わってむしろカタルシスと爽快感があった。ラスト、いい話やんw 二人の狂気のセッションに感動というよりとにかくスカッとした。この映画がどんなとんでも話でも最後の二人のニヤリだけで許すw オレはあれだけでいい。
確かにわからない人にはまったくわからないかもしれないね。音楽に限らず、これ才能が目に見えにくいアート系の活動ならなんでもそうだと思うけど。演技でも絵画でも。
ただそこでドラムという音楽的なリズム感に加えて身体能力や技術も必要とするハードなパフォーマンスで、指導の結果が目に見えてわかる、上手くいったときの結果が肉体的な意味で情感に訴えてくるってことではドラムというのは最高のパーツかもしれない。ピアノやヴァイオリンやギターよりも動的だし。
ニーマンは最高の音楽をやるために最高峰の音楽大学に入って、伝説の教師フレッチャーにその才能が見出されたというのに、普通の人にはそれがまったく理解できない。2流大学の3軍体育会系レギュラーのほうがわかりやすく「すごい」としか思われない環境。
過酷なレッスンでニーマンを追い詰めていくフレッチャーと、それに応えようとしてだんだん狂気に近づいていくニーマン。ところがとある事件でニーマンはドラムを封印。
周囲は行き過ぎの指導というけど、たぶん選ばれた人間にとってそれは行きすぎじゃないんだよね。昨日できなかったことができるようになる。やればやるほど結果に現れ、その努力をまったく苦痛に思えないというのはその時点で選ばれた人間だから、もう一般のコンプライアンスなんか関係ないんだよね。だからこれ、いい映画じゃない?w ハチクロでハグちゃんとかが望んだ高みだよw(今唐突に思い出した。たぶん3月のライオンでも可w)だっていくら才能があっても見出されなかったらただの凡人で終わるんだもん。
ニーマンがフレッチャーの指導についていけてる時点で傲慢になっても仕方はないのであるよ。
以下後半のネタバレ。
 
内容解釈云々にしてもよくわからなかったのは、フレッチャーはたぶん自分が望むレベルについてこれない人間のことは本気でクズ野郎だと思ってるんだろけど、本当にニーマンを切ったのかどうかなんだよね。引き上げた才能を失って惜しむ気持ちはあるから、逆に余計に厳しいのかもしれないけど。
クラブで出会ったのはたぶん偶然だろうし、でも大学を解雇されたことに腹を立ててるのも本当だとは思う。たぶん。
その上でJVCのフェスに誘い、嫌がらせをし、そこで潰れるならそれだけのクズ野郎でしかなかった、でも乗り越えられるなら本物だと思ってたような気はする。そう思った上でのあの嫌がらせだったというのもありかなと。(>発奮材料)
映画はフェスでニーマンが退席したとして、そのあとドラムパートをどうするつもりだったのかを見せてないからフレッチャーの真意も監督の意図もわからないんだけど、赤っ恥をかかせることすら試練のつもりでいたんだとしたら業が深いと言わざるをえないかなあ。
たとえそれでニーマンが壊れたとしてもそれは自分の望むものじゃなかったと強がるだけかもしれないけど。ニーマンにしてもこの演奏と同じレベルのことができるとも限らないけど(ただこれで真に覚醒したということはあり得る)
音楽に限らず、「上出来(グッジョブ)」で済ませられない狂気に取り憑かれたとき、人はどこまでゆくのか、いけるのか。
あともう一つ、クラブでドラマーがほしいという話をした時点でフェスまで2週間、週末には集合って言ってたから少なくとも1週間は練習したはずなんだよね。いきなりフェス会場にニーマンが現れたわけじゃないし。
てことはその間二人にどういう関係が復活したのか、その上であの仕打ちをしたってことはフレッチャーは何かを期待したはずなので、それらを考えるとフレッチャーが賭けに勝ったってことかなあと。
常人からしたら常軌を逸してるような師弟の狂気のセッションの果てに天才が誕生した瞬間だとすれば、それはフレッチャーにとってももちろんニーマンにとっても今までの出来事はチャラになるような些細なことでしか無く。
その実感をこういう手法で描き、あの最後の二人のアイコンタクトと何とも言えない微笑みで締めるこの映画とこの監督の感覚はとても凄まじいと思う。音楽に人生かけることとひとつの凄まじい才能の開花をこういうふうに見せた音楽映画は確かにないかも。
しかし息子の狂気のセッションと、そのあまりに果てしない高みを観た父親の気持ちはどうだったのかすごく気になるなあ。
恥をかかされた息子を暖かく受け止めてあげた、ごく普通の良い父親からみてあの息子(と師匠)はどう映るのか、色々考えるよ。とてもめでたしめでたしとも思えない。