そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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カブトの仮面:判った!

こないだからやってる「カブト=ガラスの仮面?」考察ですが、最終的にこうじゃないかなーという結論に。
前の考察では一応本編に絡めた考察でしたが、今回もっと重箱の隅をつつくというか、白倉氏本人の思惑がわからない以上殆ど思考実験みたいな物なんですが、すでに白倉さんのインタビュー分析なので、興味のある方は…ということで。
一応これで終わりのつもりです。これ以上やっても仕方ないしね。



元になった考察はこれね。
はすはなちゃろぐ「天才と秀才」
そこがミソ。(ウチだ)「カブトの仮面」「カブかめ補足」そのあと「こっそり」

「こっそり」ではああ書いたものの、もう一度件のインタビューを読み返したところ、勘違いの原因が判ったのでこれはこれでと思ってたら、例の「オンリーワン天道」のインスパイア元のブロガーHさんから御意見を頂いて、オレが思ったことをもっと端的に指摘されてて非常に合点がいったんで、もう一度整理も含めてまとめて見ようと思うのです。
各論にツッコミをすると論点がぼやけるので、最初から。
そもそものインタビュー内容ですが、初出はヒーローヴィジョンvol.22の白倉インタビュー。そのロングバージョンが「CAST OFF」の奴です。肝心の部分は削られてないので参照するならどちらでも大丈夫。一応簡単にまとめてみます。

  1. 強いヒーローが求められてるのが判っていたから、大口叩いて有言実行するような人がヒーローになれるんじゃないかと思っていた。
  2. 白倉作品には必ず「選ばれた人」と「選ばれなかった人」がいるが…という質問に、
    • この世には天才と秀才がいる。みんながヒーローになれるというのは嘘だ。
    • ガラスの仮面」の天才・北島マヤと努力の人姫川亜弓。それを悲劇にすると「アマデウス」。更にそれを形を変えて提示してるのが「カブト」
    • 突然変異の桃太郎と稽古をする金太郎。「桃太郎にはなれないかもしれないけど、努力すれば金太郎にはなれるんだ」と気がつくときが来る。
    • 最後は凡人が勝つ話にしてるつもり。
  3. 天才についてどう思うか?
    • 長嶋さんや信長秀吉家康の例をだして、「天才を自分のレベルに引き下ろして安心するところがある」けどそれじゃいけない。
    • 昔のアイドルのファンはよく失神してた、今もそのくらいスゴイ人がいてもいいんじゃないか。

一部要約しましたが意訳はしてないつもりで抜粋してみました。
これのポイントは、ガラスの仮面の例のところで「カブト」全体をイメージしてるけど、天道と加賀美のことについては特に言及していない。どちらがどちらとも言っていないということです。
問題にしたのは2の部分ですが、その前後、1と3を読むと白倉さんは今回のカブトは誰もが認める強いヒーロー、引きずり下ろすことが出来ない天才を描きたいと思ってるようです。ここから考えると白倉さんの言う天才とは天道ということになります。
ところが2の例で出したガラスの仮面のマヤと亜弓ですが、天才=天道なら当然この例ではマヤ、努力の人亜弓=加賀美ということになります。しかし実際はこのインタビューを読んで(たぶん)殆どの人が、天道=亜弓だと思いました。それは天道のキャラ性から言えば当然、天道は例え天才であってももともとの才能に加えた努力によってなっているからですね。あとここで注目したいのは、天道は亜弓なんだけどマヤは加賀美ではないということです。これも印象としてですが。
「天道は亜弓で加賀美こそ真の天才」としたはすはなさんの考察「天才と秀才」では、加賀美の天才性の裏付けとして「死んで生返ること」を上げてます。確かに本編と照らし合わせれば、すでに加賀美は凡人の域を越えてるわけですね。あとは異常な運の強さでしょうか。これも天才ならではといえばそうかもしれないです。
その意見に対して違うんじゃないのかなあと思ったのが、オレの「カブトの仮面」で、確かに天道=亜弓だとは思ったけど白倉さんが天才=天道と言ってるんだから、そうすると天道がマヤで加賀美は亜弓でしょ、という考察なワケですね。
そもそも先に言った通り、白倉さんはガラスの仮面のどちらがどうだとは言ってません。なのになぜそう思ったのか?それはまさしく1と3の部分、白倉さんはものスゴく強いヒーロー=天才を主人公にしたといってる、ということはそれは天道のことであると脳内補完してたからなんですね。勘違いの原因はそんなところ。
この辺はオレとほぼ同じ方向を向いて考察をしているHさんもそう思われたらしいんですね。結論としてそもそもややこしくなっている原因は、ガラスの仮面を引き合いに出したことじゃないかと。


その場合、何が問題なのでしょう。
天道が天才であるならば、アマデウスの喩えではモーツアルトが天道、サリエリが加賀美。桃太郎と金太郎は対決はしていないものの、生まれながらヒーローの宿命を背負った桃太郎は天道、努力してヒーローになる金太郎は加賀美になります。
するとガラスの仮面はどうなのか?
ガラスの仮面はオレを始め、このインタビューを読んだ何人かの意見を見ると一様に「天道=亜弓=努力の人」だと思ったようです。
しかし「天才といわれながら実は努力家の秀才、姫川亜弓」は劇中での認識、即ちガラスの仮面世界では一般的に「天才」に見えるので亜弓の方が天道。「一見凡人に見えるが実は天才の北島マヤ」つまり劇中で.「凡人」なのが加賀美…という定義で白倉さんは考えてるんじゃなかろうかと。
ドラマ版のサブPDもやられた白倉さんが、亜弓とマヤの本質を取り違えることは考えられないので、もしそうだとすればそう考えるしかないかなと。そうすると基本的には天道は天才・姫川亜弓だということになります。
ということで、「視聴者の勘違い」というものがありますが、天道の努力を知っているのは「カブト」という番組を見てる視聴者だからです。劇中の人間はそれを知らない、彼らからすれば天道は何でも軽くこなしてしまうスーパーマンのごとき天才だと見えてるはずなんですね。そうだとすればまさに亜弓と同じ状況になるわけです。
ということはと天道は亜弓のごとき努力家でありながら劇中認識では「天才」ということになります。
それはどういうことか、今回頂いたHさんの御意見から引用させて頂くと

白倉Pが天道は天才で加賀美が秀才だと言っているなら、天道の天才は「1%のひらめきと99%の努力」とか、そっち系の天才なんでしょうね。

ということで、白倉Pが言いたいのはやっぱり天才=天道で秀才(凡人)=加賀美なのかなということです。ガラスの仮面を例に上げるから若干判りにくいことになったんではと思うのですが、結果としてはこれでオッケーかと。(選ばれた・選ばれてないは今回ちょっと割愛させていただきますね。あくまでもガラかめベースの話ってことで)


これはあくまでも白倉さんのインタビュー分析という話です。それが本編に対してどういう展開をするのかは今の段階ではまだ判りません。
加賀美については凡人定義をしたとはいえ、それこそはすはなさんのいうように「生返ることは凡人には出来ないから、加賀美は天才である」は成り立つと思うし、「それが奇跡でも自然現象でもないい人為的なことである以上、加賀美のヒーローとしての儀式である」というオレの考え、ワームによって殺されることで加賀美が超常的な力を得たというkasindouさんの考え、どれも成り立つと思うのです。ただ「死」というものが加賀美に与えられたことによって、天道という天才と並ぶべくポジションに立つことが出来たというのは今後の展開のキモなのかな、ということですね。
これは基本的にはドラマでありフィクションであるから、例え凡人でもそういうことで物語の主人公になりうることはあると思うのですね。そうであれば経緯はどうであれ(例え一般人に真似が出来なくても)最後には加賀美という凡人が勝つかも知れない話にになるかもしれないなあと。


それで結局、カブかめ論争(論争か?)の結論って
「天道=天才=姫川亜弓、加賀美=凡人=北島マヤ(ただしクラスチェンジあり)」ではないだろうか。
ということです。マヤはクラスチェンジがありってのがキモね。物語的には死んで生返ることですが。
あと「こっそり」でもいったように、もし加賀美を何者なのかということで位置づけるなら「異能者」と言うものではないかなあと思うんですね。これは死んで生返ると言う臨死体験ののちに超常的な力を得るということですが、異能者にはもう一つ世の中を変えてきた超人間としての側面もあります。ちょっとトンデモですが聖徳太子織田信長ブッダ孔子イエス・キリストなどです。(この辺うろ覚えですが、こういう人たちね)この線で考えると天道も十分異能者であり得ると思うのですね。
つまりダブルライダーならぬダブル天才(もしくは異能者)の物語が「カブト」なのかなあ。どっとはらい