そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

その手を取らなかったわけ

いつまでもカブトのことを考えてますよ。今回の最後の天道と加賀美のシーンをもう一回考えてみた。判ってるよ、いいんだ、放っといてくれよ(苦笑)
 
天道が加賀美を信頼してるというのは言いましたが、どういう信頼か。公式でも確かめあっちゃうこの二人の絆ってなんだろねー?と思ったよ。

『さっき俺が暴走したとき、よく止めてくれた。感謝する』
『よせ、お前らしくもない』
『集めたゼクターも全て返そう。ライダーの暴走を止められるのは、ライダーだけだ……。約束してくれ、俺が暴走してひよりを倒そうとしたら、お前が俺を倒せ。ただし、その逆の時は俺がお前を倒す。いいな?』
起き上がった天道が差し出す手を取らない加賀美
『暴走スイッチか…本当にそんなものがガタックにも…』
二人並んで遠くを見つめる…

「第36話」ラストより

天道の自信て何処から来るのかというかと、"自分自身"を信じてるわけじゃなくて、"自分が今まで成し遂げたこと"を信じてると思うんですね。自分はこれだけ努力したからこそ、こういうことが出来るんだ…ということがちゃんと判っていて、それが自分が他とは違うオンリーワンな存在であるということの根拠なわけです。
これは天道がワームを倒す目的、人間の敵であるワームを倒すということ以外の天道の正義、つまり「ワームであるひよりを守るためにも他のワームを全て倒す」と言うことが間違ってるというのを自分自身が知ってるというのもあると思うんですよ。
でもその本心を押し隠して、他人に自分は正しいと思い込ませることが出来るだけの根拠がある。少なくともひよりに対する本心を知らない人間に対しては、天道のやることは正しいと思える…と言うのが天道の"自信"であるんですね。
それと比べて加賀美はどうかというと、加賀美は普通に根拠もなく自分自身を信じてる人だと思うんですね。他人を説得するだけの根拠はないけど、自分自身が正しいと思う行動をする。それが22話の『俺は俺にしかなれない。でも、これが俺なんだ』なんですよ。
信じるところが違うからこの二人はお互いにストッパーになるわけで、お互いが同調して片方に同情するようなことになるとその役目は果たせない。天道は加賀美が自分のストッパーになりえると判ったからこその、加賀美に対する信頼であるんじゃないかと思うんですね。
 
天道が加賀美に手を差し出したのは天道の側からいえば、単に助け起こすということ以外に自分の言うことを了承しろという確認だと思うのですが、その手を取っちゃったら加賀美はどんな理由があれ、天道のいうことに従わなければならない。天道が暴走したら倒さなければいけないってことになります。
(「オンリーワン天道」の時にもお世話になった)某Hさんの感想で《「そんな約束はごめんだ」という意思表示》というのがあって、それがちょっと加賀美っぽいなあと思ったんですね。いや何となくそう思ってはいたけど、この言い回しがオレの心にピッタリ来たからご紹介したかっただけなんですが。
加賀美は天道の差し出した手を取らなかった。天道のいうことはある意味正しいんだけど、だからといって自分が正しいとは思えない、納得出来ないことには同調しない。天道の手を借りなくても一人で立ち上がれるってのは、自分には自分の考えがあるからってことでしょうかね。
 
それでもうちょっと考えたのは、加賀美に感謝するのも今までの天道にはなかったことで、これは加賀美を認めたということだけど、もう一つ、『集めたゼクターも全て返そう。ライダーの暴走を止められるのは、ライダーだけだ』というのは、今まで自分が間違ってるとはそれが何であれ認めなかった天道が、自分の非を認めたってことですよね。
加賀美がゼクター集めをする天道の真意を知り、それがひよりのためだと判ってても、そのゼクター集めを良しとしなかったのは単純にみんなから取り上げた物を返せという以上に、「何か判らないけど間違ってる」と思ってたんじゃないかなーと深読みをしてみる。
ただ加賀美には反対する理由を挙げて天道を説得することも出来ないし、直談判に行っても横槍が入ると有耶無耶になるくらい強くは言い出せない。でもゼクター集めは間違ってると加賀美は思っているから、天道に対立していたってことですよね、ここんとこの展開は。加賀美ははっきりと判ってないけど、『俺とあいつは友達なんかじゃない』っていう苛立ちはそのせいかなと。
だけど立川のことがあるにしても、天道は自分の間違いを認めた。加賀美の主張を受け入れたってことですね。そして「ライダーを倒すのはライダーだけだ」は、天道が初めて他人にゲタを預けた格好になるんじゃないかなー。あの状況だと加賀美限定って気がしなくもないけど、かつてザビーである加賀美が自分に立ち向かうのは構わない、ただ『俺は負けないけどな』と言い放っていた天道が、弱みを見せるということでなく他人(加賀美)に判断を任せるっていうのは随分加賀美を信頼してるなあと思うんですが、それはやはり今まで天道に対して常に自分なりの正義で立ち向かってきた加賀美だからこそであるんですよね。
2話で自分の身を犠牲にしてもワームに立ち向かっていく加賀美だからこそ、自分はそんなことはしないと思いながらも、そういう加賀美という人間をある意味認めて面白いと思える、何かあったときは自分を止めてくれるだろうという信頼感があるんじゃないかなあ。
32話の天道は加賀美に対してまだ半信半疑だった。だから本心を言いながらも警戒していつでも戦える用意をしていた。
今回天道が加賀美に手を差し出したけど、それはもう本心を言うときに警戒する必要はない、加賀美はいざとなったら自分のいう通りにしてくれるだろうという信頼感があった。ただ加賀美はその手を取らなかったってだけで。
天道のいうことは理解してはいるけど、だからといって「はい、そうですか」とは言いたくないという加賀美なりのプライドもあるのかなー…ってとこでしょうか。あと加賀美なりにそうじゃない方法があるはず…と思ってるとか。天道の、カブトの暴走を目の当たりにしながらも今ひとつ事態に対して懐疑的だというのが、加賀美の加賀美たる所以ではないかと。
 
とまあいろいろ考えてるうちに大筋は変わらないけど、微妙に感想とは違ってきたとこもあるね。今考えられるのはこんなとこです。考えすぎ?オレはちょっとスッキリしたけど。