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体育会系の男

11/27のミットの記事と一緒に書いたんだけど、すっかり上げそびれ、あまりにも時期を逸してしまった42話視聴後の加賀美の考察です。今更ですいません、せっかく書いたんで…。少々直しましたが、今回ちょっと決めつけで書いてます。
 
41話のことでオレが加賀美にムカついてたのは、加賀美は誰のことも本当には信頼してなかった…ということに対してなんですが、これはどういうことかと考えてた時に、こいつは「体育会系の奴」だからか?と思ったんですね。
どういうことかというと、加賀美の場合、元高校球児でピッチャーというキャラ背景があるわけです。
だから例えば、田所さんに対しては「年上」で組織の「先輩」だから、無条件に従う・慕ってる。シャドウ隊長の時の矢車さんもそう。「年上」で「先輩」で能力的にも認められてる、いわば「エース」。
影山は「年下」だけど「先輩」で能力的には「リリーフエース」くらいか?(野球詳しくないんで…)
岬さんはもちろん「年上」で「先輩」、能力的には「レギュラー選手」。
ところがZECTの見習い隊員・加賀美は、単にピッチャー希望の「ベンチ要員」でしかないわけですね。一瞬だけ「繋ぎ」のピッチャーをやったけど、自分からもういいですって言って断ってしまった。
確かに付き合いが長くなればもちろんある程度人柄も見てるだろうけど、それよりもともとがその「ポジション」で相手に対しているように見える加賀美は、相手が「不祥事」を起こしたら、あっという間に人物的評価が反転するんではないかと。中身をたいして見てないから、表面的なポジションが変わると簡単に自分の中での価値も覆されてしまうわけです。
矢車さんをあんなに慕っていたはずなのに矢車がZECTを追われたらどうでもよくなってる。影山のこともちゃんと立ててたはずなのに、やっぱりZECTを追いだされたらどうでもよくなってる。(自分が囮にされて不要な存在だと言われたにも関わらず、影山がZECTに所属してる間はちゃんと丁寧語を使っていたのに)
そして田所さんはチームリーダーとして一番信頼していたはずなのに、人間じゃなかったというだけで全く受け付けなくなってる。
ちなみに坊っちゃんのことは、能力は天道と同じくらいでライダーなのに、年が下ってことで自分より下に見てるとしか思えない態度をとってるワケです。最初は貴族だからと思ってそれなりに接していたのに、没落貴族だと判ると、タメ口だし、名前呼び捨てだしな。
こういう人を「体育会系」で括るとホントの体育会系の人に申し訳ないんですが、加賀美にとって、自分と対する人間の「ポジション」が如何に重要かということの例えですので。だって文化系はそういう「順列」ってのないからさ。まあとにかく「単純である」ということでしょうか。
 
ところでそうなると、天道のことはどうなのか。
加賀美からしたら最初出会ったときは「同じ年」で、特に肩書きもなく何者でもないということで自分と同じだと思ってしまったとしても無理ないことです。
ところが天道は、いってみれば「エースで4番、しかも超高校級のスラッガー」だったと。「メジャー行き確定」を入れてもいいくらい。
なのに加賀美はそのことに気がついてないんですね。自分と同じかちょっと上くらいに思ってる。少なくともチームの「エース」だとは思ってるけど、自分が変身出来るようになってからは自分も「エース」だと思ってるから、やっぱり対等だと思ってるんですね。天道は更にチームの「4番バッター」だっていってんのにさ。
しかも加賀美は負けん気が強いから自分が劣ってるとは思いたくない。それは相手の力を正しく認められないということ。つまり加賀美は天道のことは同じ「エース」としては信頼してるけど、本当の意味で天道の能力を認めてるわけじゃないから、全面的に信頼はしていなかったんですねー。
片や天道はというと、加賀美より能力が上なので加賀美の出来ないところも潜在能力もそれなり判るわけです。だからこそ正しく成長すれば自分と同じくらいのレベルに辿り着けるだろうと思って、それが判ってからはそれなり敬意をもって接している。最近では自分の至らなさを認め、いざというときには加賀美に全てを託してもいいとすら考えてるのに、加賀美の方はそういう天道の信頼に気がつかないんですね。自分が信頼されてるとすら思ってない。だって加賀美からしたら天道は対等の存在であるから、能力としてはともかく人間としてそんなに違いがないと思ってるんですね。なぜか?だって年が同じだから。おまけに同じくライダーだし。ということで単純だから「じゃあ自分と同じじゃん」と思ってるんですよ。
 
2話で天道をZECTに誘うときに、加賀美って天道を自分の下のポジションに位置づけて話をしてるんですね。曲がり形にも「ZECTの一員」と「一般人」と言うことで、自分より下に見てた。カブトに変身出来るのにZECTに引き入れるという話になったら無条件に「後輩」扱いしてたし。その後、4話でカブトと自分の違いを認識して、一応「対等」にしてるんですよ。そこから「対等」=「友達」にシフトしていくのは容易いことだと思うんですが、それも天道本人に否定され、「仲間」「同志」ということで落ち着く。
ところが怪盗シャドウの一件で、田所と岬が天道を仲間に引き入れたことに対して、自分だけがそれを知らされてなかったことを知って、不満げにしながらも何も言わなかった、いや言えなかった。(またここの佐藤くんの不満げな演技が見事だなあと思ったんですが)
ここの加賀美って、自分と同じ立場だと思ってた天道が、なぜか先輩達に気に入られ彼らと同等のポジションにいることの納得できなさ、負けん気が強いだけにそれに対して不満はあるんだけど先輩に対して文句を言えずに押し黙るしかなかったように見えるんですよね。先輩達はちゃんと天道の能力を認めてるから、自分たちと同じかそれ以上に扱ってるんだけどね。(これは天道迷走の時の「いつの間にか司令官」もそうですね。このときはもっと、加賀美的には天道をどう扱っていいか判らなくなってる)
その後加賀美は、自分もガタックに変身出来たことで「エース」としての地位を手に入れ、天道と同じになったと思った。26話で『やれるか、天道!』と言い放つのはそのせいだと思うんですが、天道から見たらちょっと頼もしくなってきた程度。まだひと試合任せられるほどじゃない…んだけど、加賀美はいけると思ってるらしい。
 
その後の天道の迷走状態から元に戻るまで、この延長で考えると加賀美は自分は天道と対等だと思っていたけど、「ひょっとして全然信用されてなかった?俺」「ていうかこっちが正しいはずなのになんで意見できないの?俺?」とグルグルしてたけど、実は加賀美の方が天道の実力を正しく見極めてなかった、だからどう接していいのか、天道に対する立ち位置が判らなくなってたんじゃないでしょうか。
36話の暴走してるカブトを止めるときも『お前、俺の制止も聞かず立川に襲いかかったんだぞ!』と責めているにも関わらずイマイチ天道の行動を非難しきれてない。
天道が加賀美を信頼して手を差し出してるのに、加賀美の方は「え、俺、信用されてんの?ていうか、天道のこと信じちゃっていいの?いや待て待て待て」と、やっぱり信用してないんですよ。
そして41話、加賀美的にはまあ言ってみれば監督が不祥事、チームが不祥事、先輩も不祥事で誰も信じられなくなって自暴自棄。ところが「宿命のライバル」となった天道が信用してくれてたってことに初めて気がついて、俺ってみんなに愛されてたのかーと目が覚めた…んではないでしょうかねぇ。
単に嘘をつかれてたことがショックだったという見方も出来なくはないけど、怪盗シャドウの一件を考えるとそれ自体は先輩のやることなら仕方がないと不満はあるものの加賀美は口だししないと思うんですね。「また俺、仲間はずれかよ…」くらいで。
それよりも自分が信頼されてないと思い込んでたほうが大きいのかな。実際はみんなそれなり信頼してたのにな。それに気がついて、自分もみんなを信じようと思ったら迷いもふっ切れた。チーム力を信頼することこそ体育会系の本分なので、そんな単純なことで持ち直す加賀美はやっぱり体育会系の男ってことで。友情・努力・勝利!(なんかもうどうでもよくなってきた)
 
あと加賀美の「信頼」に対するロジックって、「自分が認めた相手に認められる」ことで初めて成り立つんじゃないかなーと思うんですね。誰でもいいから信頼が欲しいじゃなくて、あくまでも"自分がスゴイと認めた相手に認められる"ということが重要じゃないかなと。
特に相手が天道の場合は、対等でありたいと思ってる相手だけに、天道の「凄さ」が判ってやっと「コイツに認められたい」になったんじゃないでしょうか。"器"の大小の問題じゃなく、自分が凄いと認めた相手だからこそ『俺はお前を超えたいと思ったんだぞ!』ってことかなと。だからそこがはっきりしたからこそ、天道の間違いを正せるんですよね。
その43話で乃木にやられたガタックが抜けて劣勢に〜からのくだりは、加賀美がちゃんと自分が信頼されてるってことを判ったうえで天道の間違いを正し、助けに行く、という行動になってんだよね。だからあそこの加賀美は頼もしいんだよな。