そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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天保異聞 妖奇士#15「羅生門河岸の女」

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ああ〜、なんという會川節!あまりにも美しく哀しい話だよ。こういうのが會川昇の真骨頂だよな。
妖夷とは人の「思い」を具現化するものであるというのはこれまでの中で描かれていたけど、それならば、いつか吉原から出られることを夢見てじっと我慢する遊女達の思いがこの蝶の妖夷になったんだろか。蛹はいつか蝶になるけれど、蝶になってもあとは死んでいくだけ。吉原を出た遊女も、結局羅生門河岸で商売をして、ただ死んでいくだけ。
吉原で誰にも頼らず生きていくといった清花は、だけど蝶の妖夷になってしまって此処ではない何処かへ。何処でもないところを目指して飛んでいきながらも、その美しい羽がボロボロになっていくところはちょっと泣けた。何のための妖夷だったんだろう。
あとこのシーンとか、全体にBGMが妙に三枝成彰っぽくていいんだよな。異界の音楽だよ。*1
清花を愛する市野も本当は二人で此処ではない此処かに行きたかったんだろうか?だから同じように蝶の妖夷になってしまったのか?愛ゆえに?
妖夷になってしまった市野にどうしてと問う往壓は、市野から「愛」の字の漢神が引きだされたのを見てどう思ったのか。そいうままならなさってのがやっぱり人が生きるということなのか。
その後始末もだけど、どうにも遣る瀬無いのが美しく感じられるよ。
それと対照的にアトルを逃がそうとする狂斎はなんだかカワイかった。健気だし、ちょっと胸キュン。トキメクよ(笑)
妖夷になってしまった市野を、武士だからといって刀で斬ろうとするのはそういうものか。細かいな。

予告。あのステキな眼鏡っ漢は誰かしら?

*1:一時三枝成彰とか溝口肇にハマってたんで。今はどんなか知りませんが、オレがハマってた時はこんな感じだった。