そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

バッテリー#5「野球は誰のため?」

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細かく拘るというよりは、全体に巧の感情トーンと同じレベルの、熱いんだけどそれを抑えた演出が実に良かったー。巧の投球フォームを背中あおりで見せるのがキレイだったし、実際巧が投げるとこの流し撮りも効果的だった。中山くんは実際ちゃんと投げられるのが気持ちいいよな。
 
どっちかというと巧目贔屓で見てるオレからしたら展西が相変わらず大人の理屈で判った風なこと言っててムカついたんだけど、二回見たら彼の言い分はそれはそれで判る、かなぁ。
巧に「野球が好きじゃないのか」と聞かれて答えられないのは、それでもそれなり好きで楽しかったってことなんだよな。ただ我慢してたのも本当だから、巧が才能で我が侭を通したのを見ての嫉妬ね。だから野球が好きだといえないのは展西自身が言うように「意地」の問題で、優等生だからこその自分への嘘ってことか。でなきゃもっと潔く好きじゃないって言えるはずだし。
野球が好きだと言う巧にそれが言えないのは、展西が巧や海音寺ほど「野球が好きだ」ってわけでもないし、内申書がよくなるからってのも本当だからかな。自分にない巧の才能に嫉妬してには違いないけど、結局そもそもの志が低いから‥‥と言ってしまえばそれまでか。そう言っちゃうのも気の毒だけど、いかに野球が好きかって話の中で、こざかしい大人の理屈を振り回すやつにはそれでいいや。結局部活を全う出来なかったのは展西に限って言えば自業自得としか言いようがないしな。バレても「大人の判断」で回避出来ると思ってたんだろか?
 
前半と後半で話の内容がちょっと違ってて、ちょうどみんなが野球始めるとこで思わず終わりかと思って時間確認しちゃったよ。盛り上がりすぎ!静かに熱いぜ。
このドラマの演出で好きなのは、見る側にある程度の注意力と読解力を要求するところですよ。国語の授業か。
前回の邦楽部のキャッチコピーのことも流れで見せてあえて説明してないのに、今回もそのポスターのキャッチコピーを巧が見て、やっぱり「野球やって何が悪い」と吹っ切れるところか。野球が出来ないモヤモヤを繭ちゃんに託したキャッチコピーが、結局巧を救うことになるという流れがいいね。
吹っ切れて練習を始めた巧がすっごい笑ってて、冒頭からずっと沈んだ顔をしてた分ものすごく楽しそうに見えて、何か思わず良かったねぇとおばちゃんな気分に(笑)
こういう見せ方ひとつですごくスッキリカタルシスなんだよな。ここのシーンもすっごく良かった。和んだー。
で、巧たちを止めようとする教頭の構内放送が更に他の部員たちにもそれを知らせることになるって言うのも、もっていき方として上手いよなー。
野球は誰のためでもなく自分でやるものだというだけの巧たちに、校長が「新田東の看板を背負っている部活なんだ」というのが、確かに大人の、というか教育者としての理屈なのは判るけど、だからといって不祥事を起こしたことを反省するために活動停止というのは、オレは違うと思うんだよ。大人の理屈であっても。一体何の責任をとっての反省なんだ?こういうことする教育者って人種がホント判らん。
でもそこで反論するでなく、自分たちがその看板を背負えるだけの責任を持てるという永倉は、ホントかどうかはともかくカッコいいと思うし、そういうのを認めることが教育ってことじゃないかと思うんだけど、そこに突っ込む話ではないんだなー。戸村監督も何も言わないし。
そのかわり、そういう大人が思う「教育」というところを最大解釈?して練習試合を組もうとする部員たちの自主性と、巧の球を実際に受けた戸村と、1年の熱意(と巧の才能)に賭けた海音寺のキャプテンの面目躍如な声掛けGJ!ないい話だった。本当に望むものがあれば自ら動けってことだよな。
や、この辺実は前半で稲村さんの野球部の話があったから、そっちが絡んでくるのかなーと思ってただけに、ちょっとフェィントだった。
結局この話って、野球が好きで自分の才能を信じてるけど周りとの折り合いの悪い原田巧という人間が、永倉といういい相棒がいて初めて自分の真価を発揮することが出来るということをちゃんと判ってるのがポイントで、戸村が言った「永倉がおらんと野球が出来ん」というとおりなんだよな。なんか痒いところに手が届く感じですよ。やっぱり独りよがりはイカンのう。
なんか実がないわりに長くなっちゃったよ、もっと短くまとめたいのに‥‥(↓ルーキーズくらいがちょうどいいね)