そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

おせん#7

http://www.ntv.co.jp/osen/
今回のも実に面白かった!やっぱりどう考えても今の展開が本当で、頭の3話くらいはなにかの間違いだったんじゃないかと思うんだけどー?
ヨッちゃん役の内も随分輝いてるよ。脇にいても(キャラ・役者ともども)それなり存在感があるし、本筋に絡んできて要所要所で話を回してても鬱陶しくないし、程よい仕事っぷり。勘が戻った?
 
塩こうじと留吉の話、一体どう絡むんだろうと思いながら見てて、展開としてはそれなり読めるんだけど一番言いたいことはなかなか判らないようにしてる(という部分で最後まで興味を持たせるドラマ作り)が、安定した話でありながら最後の一ひねりとして利いてくる‥‥っていうのが、前回と今回の話って持っていき方として似てる気がするんだよ。脚本は同じ人かな、全部この人でもいいのに。
前回はおせんさんの「手作りお箸」にいろんなものが込められてて、なんてことないバラバラの事柄から話全体が最後に「箸」に行き着くことが心地よかったわけですよ。それが今回は豚の油と留吉のプライドってことでいいのかな?
留吉が一升庵の板前であるってことにプライドを持ってるってことと、おせんさんに気があるってことは、あの年ごろの男子としてはまったく普通であるわけです。それゆえ後から来たヨッちゃんがおせんさんと仲良く店の仕事をしてるのを見て思うとこあったり、いいカッコしようとして店の看板に泥を塗るような失敗したり、引き止めてもらえると思って辞めると言ったらアッサリ了解されちゃってガッカリ‥‥などなど、気持ちは判るだけに、ああ失敗したねぇ‥‥と気の毒になるばかり。
それとは全く逆なのがヨッちゃんで、おせんさんに対して恋心がなく一升庵の事しか考えてないのと、自分で自分のことを「クズ肉」(→だから頑張ろう)って言っちゃって気にならない、包丁の技術が未熟だって言うことをさらっと認めて、先輩の留吉のことも上下関係なく持ってる技術は同等だから同じだっていう、ある意味自分の現状を正しく認識してることを考えると、ヨッちゃんはかなり大人物じゃないかと思うんだよな(笑)
そういうヨッちゃんだからこそおせんさんは何かと重宝に使うんだろうけど、それは留さんには判らない‥‥から、自分の拠り所として「一升庵の板前である」というところで気取ってみたいというのが、余分な力が入っちゃってるってことかと。
 
塩こうじの漬け具材で野菜・魚ときてどうして肉それも豚肉に行き着かないのかは話の都合だとは思うけど、それはいい。(和食料亭だからといって肉を使わないってことはないし、メジャーな調理法としてみそ漬けがあるんだから思いついてもいいはずなんだよね)
それを言う留吉が豚肉を思いついたのは、板場の人たちの食の好みを思い、食べさせたいと思うこと、漬けた豚肉を炭火で炙ってというおせんさんに「余計な油も落ちますしね」と何気なく言うことに、実際塩こうじ漬けの豚の炭火焼きを作るときの演出の描写としてわざわざ油が落ちるのをじっくり見せているというところで、やっと思い至ったのが、留吉の余計な気負いやプライドは誰かに美味しいものを食べさせたいというおせんさん、すなわち一升庵の主義において余分なものなんだってことで。それを美味しそうな炙り焼きの描写に被せて、余分な油を落とすという描写で見せてるということに感心したですよ。こういうのが脚本と演出が役割分担して相乗効果を上げてるってことじゃないかと。
おせんさんが指摘した通り、居酒屋でバイトしてる間も留吉はやったことに対してちゃんと責任を取ったつもりなわけだから、辞めても腐らずに美味しい物を出そうと丁寧に作業してる。だからこそ包丁をちゃんと使えてることをおせんさんが見て取って、一升庵に再雇用という形で清二に復帰をお願いしてるし、それが叶うってことで話は丸く収まってよかったよかった。そのあとの包丁修業が失敗するのはまあ予定通りのオチなわけだけど(笑)
それと何気にやっぱり上手いと思うのは、留吉が辞めたって聞いたときに仲居頭のシズさんだけがああって顔してたんで、まあそういうことはよくあったことなんだろうなと思ってたら、ちゃんとその辺ヨッちゃんにフォローしてたし、賄いの席で一升庵の看板料理が出来たと喜ぶヨッちゃんたちに、「お客さんが喜んでくれて料理が残ってやっと看板料理になる。あんたたちが中年オヤジになる頃に初めてそれが完成したって言えるのよ」と言ってるところにも勤続30年の重みがあってよかった。
今回は向井くんの演技も楽しめたし、杉本哲太はさすがにぴりっと効いてたし、見ごたえたっぷりでした。