そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

銭ゲバ#3

http://www.ntv.co.jp/zenigeba/
えー、ホントに殺しちゃったの?白川を!(田中圭、また死体かよw)まさかそんな、どう考えても風太郎が関係してたって思われちゃうよ?
それ以前に昼間の公園で会っててそこから殺してトランクに死体を詰め込んで、三國家の敷地に埋める‥‥って目撃者もなく一人でできるとはとても思えません。脚本どうなってんのー?(苦笑)そこまで甘くは見られませんよ?つか一体どうやって?まあホントに殺しててもチョイ目を瞑りますけどね。
そして風太郎がエロいです。茜といる時の風太郎がエロいよ。エロいのが風太郎なのか松ケンなのかは判りませんがw
冒頭の派遣切りがあまりに現状とマッチしすぎてるんだけど、不当解雇を訴える派遣労働者に対して「格差なんて昔からあった、格差なんてなくならない」ってのはまたずいぶん挑戦的ですよ。言ってるのは風太朗だけど、ドラマ的に大丈夫でしょうか。いやまあその通りだと思うんだけど、ちょっと心配。そう思いたくない人が世の中多いからね。
みんなが今まで見ないようにしてきたことを真正面から事実として言いきるって、相当なボウケンですね。
 
感想が遅くなってしまうのは風太郎が判らないからいろいろ考えちゃうからなんですが、風太郎の良心ってどこにあるんだろうと考えててちょっと思った。風太郎って性善説を信じてるんじゃないかなあ。
このドラマで明らかに性善説に見えるのは緑だけで、他の人、三國父とか白川みたいに風太郎を見て当然のように「あれは良くない人間だ」というのは、あの立場の人間なら当たり前だと思うんだよ。人は性悪説で生きてないと生きづらいから。
でも風太郎が「きれいだった」っていうお母さんはたぶん性善説を信じてて「たとえ貧乏でも心は貧しくならないで」といって風太郎を育てたはずだし、だから風太郎は母親のことを「きれいだ」と言ってるんだと思うのよ。容姿のことだけじゃないと思うのね。
緑は環境として性善説を信じて生きててもいいお嬢さんで、だから当然のように他人にもそれを強要してるんだけど(子供の頃は尚更)、子供の頃の風太郎が一番打ちのめされたことって、母親が貧乏のために死んでしまったことじゃなくて、母親に珍しいお菓子を食べさせようという「良いこと」をしようとした結果が「貧乏だからといって物を盗むのは間違ってる」という緑の正論であって、風太郎もそれが正しいことが判ってるから、三國家からの帰り道、母親が貧乏でごめんと謝るところは彼らの生きる指針を穢してしまったという罪悪感を感じてたと思うのね。
だから風太郎にとって緑はそうなりたいという理想像で憧れであり、それが正しいのは判ってるんだけど、そうなれない自分を見せつけられていることでの憎しみがあるんだよな。
でも緑を貶めることが自分を貶めることだってのも薄々判ってはいると思うの。その辺のアンビバレンツな気持ちがますます風太郎を判りにくくしてるような気がするのよ。
風太郎自身は性善説だから、環境によって悪になったとか貧乏なのは社会が悪いんだってことには同調出来ないのは当然で(だから父親をあんなにも嫌うんだと思うけど)、個人の努力とか何が悪いってことじゃなく貧乏はいつだってそこにある、だったら幸せになるためにはそこからいかに抜け出すかってことだけで、その方法自体に良いも悪いもないってことなんだよね。そのために人を殺しても、自作自演で金持ちの三國家に取り入ろうとしても、それは風太郎にとって悪いことじゃなく「仕方のないこと」でしかないのかなと。
だから不当解雇運動の労働者たちにも簡単に「格差なんて昔からあった、無くならない」って言えちゃうんだし、要は自分がどこにいたいかって話で、貧乏は絶対に無くならないと思ってるから、貧乏なのは自分が悪いんでも他人が悪いんでもないと思ってる。だから自分のために状況を変えようという努力をしない、自分が納得出来る環境に入り込んでいくだけって感覚なのかな。そしてそれは風太郎にとって当たり前のことなんだよ。だって人は自分の幸せを追求する権利があるわけだし、そのための方法の良し悪しと心の問題は別の話だし。
風太郎にとって自分が幸福になるために他人を踏み台にしていくことは、良心が咎めないことなんじゃないかなあ。
本当は人の心は環境によらず美しくあるべきだということを信じたいのに、世の中がそうじゃないのはどうしてなのか、自分が貧乏で母親を亡くしてしまったのは何が悪いんだってことをずっと考えつづけて行く話で、じゃあ風太郎自身はどうあるべきなのかって話だよな。それが答えを探しつづけるってことだよな。
でも実際もう人を殺してるから後戻りは出来ないってのは、図らずもやっぱり性善説で生きてるっぽい伊豆食堂の人たちに思い知らされてしまったワケですが。
まあ風太郎自身がそこまで考えてるかというと考えてないからうっかり目先の保身で人を殺しちゃうんだろうけどさ。というか殺したという意識があるのは白川のケースだけだよね、今のところ。萩野弟にしても1話の工場労働者にしてもそんなこと考えてなかったろうし。
あるのは貧乏はイヤだ、世の中お金だという気持ちだけで、他になんか考えてたとは思えない。「流星の絆」的な価値観でいうと「たかがお金なんかのために」なんだけど、「銭ゲバ」は些細なそのお金のために何でもやるという価値観であって、流星の価値観には同調出来るけど銭ゲバには出来ないってのは、人はお金なんかのために人を殺したりはしないと信じたいだけのことで、だからそうじゃない風太郎は判らないんだよな。だって、そこに何が残るんだよっていう虚しさがあるじゃん。そんな虚しさのあるところに幸福なんかあるわけないもん。
でも風太郎が茜の耳を塞いで本当のことを呟くのは、無意識に風太郎の良心が咎めてるのかなあって気がするんだけど、どうかなぁ。
と今回思ったのはこんなとこで。
伊豆食堂の風太郎似の行方不明中のお兄さんの話、意外と引っ張るけどどう絡んでくるんだろうか?