そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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白洲次郎#3(終)「ラスプーチンの涙」

http://www.nhk.or.jp/drama/shirasujirou/
2話目は感想かいとった。これね→ http://d.hatena.ne.jp/korohiti/20090313/p1
 
話が難しいというかそもそもこの時代の時代背景がよく判ってないからだろうけど、難しく考えずに白洲のキャラの描き方の決着としてそれでいいんだって意味で、納得出来ればいいのかな?
問われ続けてたのは「お前は何者だ」ってことで、それに対して「俺は白洲次郎だ」としか答えられない、ある意味不器用に生きて自分の成すべきことをやり遂げた人‥‥ということなんでしょうか。カッコいいけど必ずしもスマートな生き方ではないよなあ。この場合、それが正解だといえばそうかもしれないけど。
それが白洲が求めた「プリンシプル」で、ずっと農業というか、自分たちの生きる糧は自分でまかなうというところでの、生きるための基本の考え方をブレずに持っていたからこそかなあ。複雑に見えて基本はシンプルだったってことか。
若い時は家の財力で好き勝手に怖い物知らずでやってきて、ケンブリッジで学んだ仲間たちがそれぞれあるべき立場を手に入れるところを、敗戦国の人間という、自分の立場は自分で作らなければならない状況において、白洲の生き方考え方とマッチしてたけど、それが理解できる日本人はいなかったってことだよね。白洲の「ノブレスオブリッジ」、泥にまみれても持つものの義務、生き残ったものの義務としてとしてやるべきことをやるという生き方だろうけど、殆どの普通の人々、日本を動かす政治家にも理解出来ないのは仕方ないってことかも。だってみんな自分の身の回りだけで手いっぱいだし。すべての人にカントリージェントルマンであることを求めるのは難しいよな。
サンフランシスコ講和条約の巻紙のエピソードで思ったんだけど、英語が話せるってことは単に意思の疎通が出来るってだけであって、米英と渡り合うためには相手の文化を知らなければいけない、それを知ってる白洲だから講和条約で日本語でスピーチするということの重要性が判ってた、どこを曲げてどこの筋を通すべしっていう。アメリカに対して「戦争に負けたけど奴隷になったわけじゃない」ってのもそういうことだけど、広畑売却の時の日和った吉田首相とのやり取りのエピもそうだよねえ。白洲が何者にもなり得なかったのは、日本人でありながら外国に精通しすぎてたからって気がしなくもないよ。でもこの人がいなければ一体戦後の日本ってどうなってたことか。
ドラマとしてスッキリした話ではないんだけど、白洲次郎とはそういう人だって話としてはいいドラマでした。
吉田茂のことを「親父」といってたのもあるし、父親と同じく農業をやってたってのもあるけど、吉田茂に引導渡して「親父に似てる」といったところで父親越えの話だったかと、ちょっとスッキリしたし。
白洲正子という人はこのドラマ見てる限り、オレはあまり好きなタイプの人じゃないんだけど、育ちがよくて何でもたぶん手に入ったんだろうと思うから自分の中に芯がない、それが判ってるから何か揺るぎないものをずっと求めていた人で(だから青山二郎なんかに惑わされるんだろうけどw)、ホントに白洲次郎と結婚して良かったねぇ‥‥と思います(笑)
2話で朝帰りの正子が次郎に突っかかるところがあって、わー、こんな女面倒くさくってやだなーと思って見てたんだけど、相方に「何かすごくこういう人知ってる」といわれてヤな感じー ( ̄3 ̄)<3
キャストも良くて映像もキレイでカッコよかったし、こういう抑え目の演出は最近のドラマでは見ない感じでよかったです。そういや来年の龍馬伝も同じスタッフさんらしいんで楽しみですね。
しかし途中白洲対政治家連中のやり取りの時になぜか黒部・森次・団のウルトラマンたちがいたのはどうしてなのか(笑)揃いすぎw どういう光の国なんだよ(笑)
 
11月4・5・6日と、またハイビジョンで再放送があるみたいですね。見逃した人はぜひ。
あと自分メモに。「特集・白洲次郎http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20090225/134668/