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聖戦士ダンバイン#46〜49(終)

最後なのにどうも作画が悪いのが悲しいですね。湖川班でも安定してないし、まあ実質的に次の番組がエルガイムで同じスタッフだからしょうがないといえばしょうがないのか‥‥( ´∋`)
46話、リモコン作戦といいながら実質ミュージィのグラン・ガラン潜入じゃないかと思ったら、潜入作戦はカールビンソンのカミカゼアタックのせいで中止になったのでやっぱりリモコン作戦だった。
ちょっととっ散らかってる感もあるし、なんだかわからないうちに地上の戦闘機がバリアー破ってゲア・ガリングを大破させてるんだからなー。ゴラオンがあんなにまでしても落とせなかったのにー。
47話「ドレイク・ルフト」。大人物のドレイク様、いろいろ自分たちの立場は判ってはいても戦いはもはや止められない‥‥というか、一応地上を征服するつもりだったはずだよね?いつの間にかある意味地上に出たバイストンウェルの意思をシーラたちとは別のとこから代弁してますが‥‥あれ?(^_^;)
ともあれ、なんだか政治的駆け引きが激しい話でうっかりすると流れを見失っちゃうよ。
その前にゼラーナ急襲するところのスプリガン。なのにウヤムヤのうちにゼラーナが撃沈。キーンがまたいらんことを‥‥!というか、落ちるにしてもむざむざ海に落とすとはなぁ。せめてショットのスプリガンにぶつけるくらいのことはして欲しかったよ。カミカゼ
そしてウィル・ウィプスに逃げてきたリムルはルーザのことをドレイクに告げ口しようとしたところで怒られた!やはり娘がそれ言っちゃイカンってことか?親としてのドレイクの心配り?さすが大人物のドレイク・ルフト。まあルーザが地上に出てたって初めて知って、誰もそれをドレイク本人には言わなんだことにも気がついて、内心ちょっと上がったり下がったりのドレイク様だけど、一番悪いのはどうやらルーザの不貞だと気がついたドレイクに、リムルはリムルでドレイクの代行でゲア・ガリングに取って返してルーザを討つ覚悟だし。
合流間近のドレイクとビショットの腹の探り合いだけど、ほとんどルーザが仕切ってる状態。ビショットより状況判ってるというか、ヒデエ女だ。上手く立ち回ったつもりのショットはともかく、ルーザは最終的に何になりたかったのか?流れが読めても大義がなく状況を読まないってのはオソロシイことです。正にすべての元凶。
そしてハイパー化も、みんなが自分たちの分をわきまえてきたのも、何でもかんでもオーラ力のせいなのか?個人的にはリムルの豹変っぷりが一番解せん。リムルってそんなキャラだっけ?まあそれもあの場に満ちてるオーラ力のせいなのか‥‥
 
48話「クロス・ファイト」いよいよ大詰め。つか、なんか泣けるんですけど。昔見たときはそんなに泣けるような話じゃなかったと‥‥年食ったから?
バイストンウィルのことはバイストンウェルで、差し違えてでも決着をつけるってのはシーラとかエレとか上の方の人たちの大義だけど、下っ端兵士たちもみんな同じ考えってことで?まあその辺もそういう気分のオーラ力が満ちてるからってことで。
地上の艦隊はすべて静観、もちろんTVクルーも取材してますが世界各国の人々が太平洋上のオーラマシンの戦争を見守ってるってのがもう終結近い感じだなぁ。マーベルの両親とショウのお父さんはTV中継を見てるのに、息子の名前を連呼するニュースを一顧だにしないショウの母親って‥‥( ´Д`)
ビショットはルーザのことでドレイクの盾にされてんだけど、小賢しく戦後処理のこととか考えてるのが小物っぽいというか。というか太平洋上でオーラマシンだけの戦闘になってることはドレイクも承知してる感じだけど、その後ってどういうつもりなのかはまだ言ってないしなぁ。シーラはオーラマシンを地上からすべて消し去るつもりで戦闘してるんだけど、ドレイクが小賢しい個人的野望をもってるビショットを盾にしてある意味死んでもいいと思ってるのって、そういう意味では後に禍根を残さないことだって気もするけど。なんかそんなとこまで含みのあるこの話がスゲエよ。そいや今回はわりとセリフもちょっと気が利いてたな。
そんな中黒騎士のハイパー化を抑えるためにエレ様が‥‥ああ、なんか泣けちゃったよ。エレ様‥‥(´Д⊂ヽ
さらにリムルの親殺しを止めるよう言い残していったのに、間に合わずリムルは逆にルーザに返り討ちに。本当にヒデエ母親だ‥‥。
でもって、たしかゴラオンがゲア・ガリングと相撃ちしたのは覚えてたんだけど、改めて見るとそこら辺の流れがよくってまた泣けた。いやオレが集中して入れ込みすぎてるのか?エレ様の亡骸を抱きかかえたエイブ艦長が、シーラ様を抑えてゲア・ガリングに特攻をかけるのがなんか演出上手くって絵面としてもよかったというか、なんかいろいろ終わりが近いって感傷かも。ううう、泣ける‥‥
これで空気、いや今のオーラ力の流れの読めなかったルーザもビショットもお亡くなりに。なんかスッキリ。
前回前々回と湖川・金山作画だったのに逆に安定しないで見づらかったのが、今回は逆に一人原画の佐々門作画のお陰で安定してて見やすかったのは何たる皮肉(笑)
ところでビルバインはいつの間にカラーリングがダークカラーになってんの?何となく夜だから‥‥だと思ってたけど(笑)まあ白ベースのカラーリングのナの国のデザインはずいぶん洗練されてることですが、やっぱり戦場で白い機体は目立ちすぎるよなw
 
とうとう最終話「チャム・ファウ」。ベルも最終回だって言ってるよ!(笑)
話詰まりすぎ。キーンが、ニーが、戦いに紛れてお亡くなりに。そしてダンバインのマーベルも‥‥
黒騎士バーンのやったことはあれ、判りにくいけどショットに対する反逆の意思ってことでよかったんだ?まあそんなことすら最終回なのであまり意味はないけど。ショットとミュージィは意外と仲良くあの世に旅立ってちょっと意外といえば意外。利用したってだけなわけじゃなかったのね。ドレイクのいうルーザにミュージィほどの可愛げがあればってのも確かに。まあ賢しさでは同じ程度の小物カップルだけど。
そのドレイクも逃げるところをニーに討たれ、野望もジ・エンド。つか、ルーザの影響のないところで再起を図るって、一応そういうつもりだったの?自分たちが粛正される存在だとか悟ったように言ってたはずなのに、一体‥‥?まあ今の状況に対してはずいぶん他人事っぽく聞こえるけど、そう都合よくはいかなかったってことで。ドレイクがどういう風に地上世界と渡り合うつもりだったのかはちょっと興味合ったのになあ。
それよりもショットが死んでも技術的には大丈夫なのかな。ブル・ベガーとオーラバトラー数機で何とかなるって、どの程度何とかなるって思ってたのかな。やっぱりドレイク様の野望の行き着く先は見たかった。
結局最後に残ったのはバーンの憎しみで、手に入れたものが「力と狡猾さ」ってのは、ショウからしたらだからそれが?って話だよな。バーンとショウが相打ちでその憎しみを討ち取ったところでシーラ様の力で浄化してみんなバイストンウェルに還る‥‥まあちょっとイデオンチックだとは当時も思ったけど、でもチャム・ファウだけが残ったラストはやっぱりすごくファンタジー
この物語が最初からチャムが語ってたという前提の上の冒頭ナレーションだったってことの驚きを持ってくるいいラストシーンだよなぁ。地上世界で独りぼっちのミ・フェラリオ‥‥チャム・ファウは何処へ飛んでいったのか。ちょっと泣ける。
 
しかし改めてよく考えてみると、多少の事情を知ってるカールビンソンの艦長は代理戦争だのテキストだの言ってるけど、地上人が持ち込んだマシンの概念をバイストンウェルが地上へ放逐し、そこでバイストンウェルの人間同士でというか、バイストンウェルのマシンを地上から消滅させることを大義に戦うシーラたちがいて‥‥という構図は、結局地上の人たち的にはなんだったんだろうね。
それを考えるとダンバインの物語というのは他の作品に比べると、妙に傍観者的な立場で見ちゃうなあ‥‥ってのは改めて感じるんだけど、それはたぶん視聴者的にバイストンウェルの戦いを見守る地上人たちみたいな気分だからかなあ。
全員が因果地平に翔んでいったイデオンよりも客観的で他人事のように思えるのは、自分たちとはまったく関係ない戦いが身近で行われてても、結局は彼らに影響を与えることはできない見てるだけでしかない立場っていうのが、メタ的に強調されてるからかな。
そう考えるとその戦い自体に意味があったのかどうかという点では、結局それこそが人の業の愚かさを描いてるって気がしなくもないのは、力ヘの憧れや憎しみの強さが引き起こした歪みを糾すために大義があって、でもその陰に愛情やちょっとした気持ちの触れ合いもあるというのが、「悪しき力」と「善き心」という対立構図で描かれることが多いからか。
シーラたちがこの地上世界でドレイクを滅ぼそうとしてたのはドレイクが覇権を狙ってるからではなくて、力という悪しきものに囚われてるからだろうし。だからドレイクよりも浄化が必要だったのが憎しみという悪しき心にとらわれたバーンの方だった‥‥ってのも当然ってことかと。
あんまり深く突っ込んで考えるつもりもないけど(富野をこんな数行で語るのは無理だよなw)、トッドやアレン、ジェリルたちとちがってショウやマーベルギブン家に与する地上人は“聖戦士“として”らしく”戦って、個人的なことよりも大義を優先するという流れを良しとすることに何の疑問も抱いてなかったけど、それは成長じゃないよな。物語の体裁としては普通は主人公が成長するのは当り前なんだけど、「ダンバイン」に関してはどうもそういう個々のキャラの関係性ややり取りを描いてはいたけど、あくまでもこの世界の理として何が正道かが重要で、キャラはそれに合わせて動いてたってところかな。イデオンほど哲学にはなってないのはキャラを描いてるからじゃなくあくまでも世界を描いてるのにすぎないから‥‥って気がする。
まあ本当に描きたかったのは「バイストンウェル」という世界だった‥‥ってのは今さらか。(そんなこと知ってるけど)描きたいことの中心がキャラやストーリーじゃないってのは、アニメとしてもそれはそれで斬新だなあ。
 
本編を見終わったんで、やっとこれに手を付けられる。読みごたえありそうね‥‥

聖戦士ダンバインノスタルジア―Do you remember the tale of Byston Well?

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