そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

八重の桜#38「西南戦争」

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
脚本:山本むつみ 演出:加藤拓
 
久々にちょっとああー…っと思ったね。震えたね。
まったくの推測だけど、思うに脚本の山本さんは八重と襄の学校設立とかどうでもいいんじゃなかろうか?(苦笑)
どうでもいいとまでは言わないけど、歴史のうねりを描くほうが断然面白いよなあ。維新の行く末の結末のほうが断然描いてて面白いし美しいよなあ。男たちの美学だよなあ。わかんないけどすげー分かる。このドラマ自体が「八重の桜」と言いながら、八重の目線で見た幕末の会津というより、その会津を描くための八重だもんな。
このドラマにおいて八重さんってその中心にはまったくいないんだよね。八重さんの存在意義そのものが、たまたま中心に近いところにいた、一般人に近いけどそれよりは断然恵まれた立場にいたからこそ見えた幕末の風景ってことじゃないかって気がする。
だってよくわかんないまま言うけど、あの時代って本人の努力云々よりもたまたま生まれた場所や家のお陰で身の振り方や人生が決まってる風に見えるし、会津ってそういうとこみたいだし、八重さん本人の努力はもちろんあるけど、あのポジションにいたのはたまたま恵まれていたからだとしか思えないんだよ。
それは八重さんだけじゃなく襄にしても山川家の健次郎や捨松についても同じだと思ってるけどさ。たまたまそこにいたという生まれ持った立場と、それにプラスしての素養の問題じゃないのかなあ。当然、学問を学ぶにしてもそれなりの生まれにいないとそんなこと考ようもないし歴史上の名のある人々との交流もなかっただろうってこと含めて。
それは八重さんと仲良かった時尾さんやおユキちゃんを見れば分かるって話だろうし、八重さんが今あそこで同志社大を立ち上げた旦那の妻でいるのは、八重さんちがたまたま鉄砲の家に生まれて、八重さんが男勝りに鉄砲に興味をもつのを許してくれた家だったからかと。もちろん八重さんの努力と実際会津戦争で活躍したことは否定しないけど。
八重さんが未だに「なぜ会津があんな目に合わなきゃいけなかったのか?」ってことに答えを出せてないけど、そんなもん八重さんに出せるわけがなかろうと。
ただこのドラマとしてのその答えは、会津が時代の変わり目の「人柱」だったてことが結論だよな。
 
西郷さんがかつて「会津と薩摩は似てる」といったように、会津と薩摩は確かに武士道的気質では似てるんだよね。まあ長州のイメージがあの木戸さんだから毛色が違いすぎるってのはあるけどさw
だから会津戦争の時は賊軍として徹底的に叩きのめされた元会津山川浩佐川官兵衛が今や官軍の官僚として取り立てられ、元薩摩の大山弥助改め巌と元会津佐川官兵衛が一緒になって任務を実行することに違和感はないんだけど、薩摩の西郷さんを賊軍として討伐するってのはまさに時代の流れで、その理屈で言うと西郷さんも時代の人柱だよな。
西郷さんの場合もっとわかりやすく新しい時代に対応できなかった国元の士族たちに担がれ、本人はいろいろわかった上でそれを全部引き受けて自ら新政府のための人柱となって死んでいくという、史実はどうだかわからないけどドラマとしてとてもわかり易い流れだった。西郷さんカッコ良すぎる!完全に滅びの美学扱いだけど (>_<)
八重さんの「なぜ会津が…」はたぶん会津戦争で籠城したり戦ったりした会津の一般人(ただし士族以上に限る)の疑問だろうけど、彼女らが本当の意味でそれを理解することはないんじゃないかなあ。八重さんがたぶんわかってないよね。薩摩と会津が似てるという西郷の言葉の意味すらわかってるかどうか怪しいよ。というか、八重さんには分かるはずもないような気もするし。だって八重さんってただの一般人だし。
覚馬さんは本来ならもっと活躍しても良かったんだろうけど、たぶん体が不自由だからこそ生き残ったんだろうし、命を狙われることもないけど表舞台に出ることもなく、引きこもりのまま洞察力だけで世の中の流れを知る人として生き残ることが出来んだよな。だからただ知ることは出来ても影響力はさほどないってことかも。オブザーバーってやつ?
そして木戸さん、西郷さん、大久保さん(この人は腹黒なので別枠)、あと官兵衛さんもお亡くなりになって、やっと武士の世が終わり本当の新しい新時代がやってきたんだと。
でも実際の新島八重さんはどうだかわかんないけど、このドラマの八重さんはそのことの意味ってあんまりわかってるようには見えないんだよなあ。だってそもそも八重さんって最初から時代の空気なんか読んでないもんな。襄が使命感と時代の流れで、今が(キリスト教布教のための)学校を作るときだと新時代の流れに便乗してることに更に便乗してるだけというか。
まあただそんな八重さんが悪いって話ではなく、このドラマはそんな八重さんだからこそ見えるものもあるって話だから、たぶんこれはこれでいいのだよな。
女性のための学校を作ろうという八重さんが、この武士の世から学問の世への流れで学んだことってなんなんだろうなー。まあでもこの時代は学問をすれば何か道が開けたのかもな。少なくとも弁が立てばおなごでも男と同様にやりあえるってことだろうし。
八重さんとしての筋は通ってるけど実態がさっぱりつかめないよ(^_^;)