そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

バケモノの子

http://www.bakemono-no-ko.jp/index.html
監督・脚本:細田守(脚本協力:奥寺和佐子)
 
基本的に時かけ以降の細田作品は苦手なんですが、それでもなぜ細田作品を見るかというとそこに何かあるかも…と思うからで、結論からいうと熊徹カッコイイ!熊徹ステキ!熊徹イカス!熊徹みたいなお父さん欲しい! (;´Д`)ハァハァ 熊徹に役所広司の声と喋りがハマりすぎてる!と、とにかく熊徹萌えの映画でした。でもストーリーは語る価値もないよ、今回はいつも以上にダメでした。
熊徹は良かったってだけでも拾い物…だけど、それでこの作品がチャラになるかというとまったくなりませんでしたよ。1000円ならと思ってみたけど無理。気持ち的に。本当に細田作品ダメです。
というか今回はもうダメとか苦手とかいう以上にいつも以上にストーリーに興味が持てません。と思ったら脚本も細田監督だったんだ?ああ〜(;´Д`)
ちょっと長くなったけど、オレは感想を書くことでいろいろ考えをまとめたい人なのでそこは勘弁して下さい。好きじゃないなら見ないほうがいいとか言わないように。毎回結果として好きじゃないだけなんだよ。
 
孤独な少年が迷い込んだバケモノ(獣人?)の街で「九太」と名付けられ乱暴者の熊徹と擬似親子のようになって「強く」なるために修行する話。
バケモノの街・渋天街は人間界の渋谷の街を模したような作りで人間と同じようにバケモノたちが暮らしててとても楽しそう!おまけに街の外にもいろんな街があり、九太たちは修行のためにみんなで野宿しながら旅をするのであった…って、とてもワクワクするような展開!まさに冒険活劇!通過儀礼!そしてちょっぴりの不吉な予言と心の闇と、いつか旅立ちの時を迎えるのか…ってことでクライマックスとカタルシスの予感!
そう、途中までは「もしかして初めて細田作品で面白いと思えるものが!?」とまで高まったものの、中盤以降まったく意味がわからない展開に「???」となり、最終的には「もったいないなあ…(斗くん行くマッツのキャラと渋天街の設定が)」と憤りすら覚えたのでした。なんでこうなる?
あ、声ですが、とにかく役所広司の熊徹がスゴいハマってて良かった。これたぶん口パクあとで合わせてるんだよね?表情自体がもう役所広司だったw 蓮=九太は宮崎あおいはいいけど染谷将太が相変わらず滑舌悪くてちょっと厳しい。なんで最近なんでもかんでも染谷将太なんだろ。演技的には特に染谷じゃなくてもいいと思うし。逆に楓は実写だとウザい広瀬すずが妙にハマってた。アテレコも上手いし。
あとは安定の大泉洋@多々良、リリー・フランキー@百秋坊は演技含めて微妙。たぶん大泉は声だけでもキャラが立つけどリリー・フランキーはあの見た目の雰囲気込みでリリー・フランキーだからだと思う。まあセリフがアレなんで余計鼻についたのかもしれないけど。
 
ということでここからネタバレ批判です。
もーありえないから、こんな脚本。というか、ぶっちゃけオレこういう脚本嫌い。
アニメーションだけで十分に素晴らしいのに余計なことをべらべらと喋りすぎる語りすぎる登場人物。音楽も不必要に大きく騒々しくて、まったく画面とあってないし。誰だったか映画監督で音楽に感情を代弁されるのが嫌だから控えめにするというのを聞いたことがあったけど、これは音楽も余計なこと語りすぎ。
あとこれ伊賀大介のスタイリングって必要だった?
活劇には違いないけど、相変わらず話と展開は心ない感じです。感動はまったく出来ないけど、オレは熊徹の最後のあのシーンはちょっと泣きそうになった、色んな意味で (>_<)
以下ネタバレ。
 
 
 
キャラでは特に百秋坊と楓、ときどき多々良(つまりあの二人の脇キャラたち)が、言ってることが濾過されてないというか、監督の言いたいことがストレートすぎて説教臭いしキャラがやたら喋りすぎる脚本ってダサいしウザい。説明とかでなくとにかく単に監督が思ってることを喋るイタコ。熊徹が喋ってるとこ以外ミュートしたい、マジで (>_<) 熊徹だけ見ていたいわ。
その監督が言いたいこともとっちらかりすぎてて、何をやりたい話なのかさっぱり見えないから、その言いたいことのセリフもチグハグ。
おまけにストーリーも全然意味わかんないし、むしろなんでこんな展開?
一応良かったと思ったのは蓮が渋天街にいって九太って名付けられ、熊徹の弟子になって修行するところ、声が宮崎あおいから染谷将太になるくらいまで。
修行のあいだは言ってることも尤もだしいろんな「強さ」を訪ねて旅をするってのも良かった。ただその「強さ」を求める旅が後半まったく生かされてない。
渋天街を含むバケモノ界はとてもオレ好みの設定で良かった。さくっと終わらせたけど旅するとこが合ったおかげで広がりも感じる世界観だったし。むしろそこを含む熊徹と九太たちの日常をもっと見たかったくらい。(映画としてはあれで十分だけど)
ただ日常としては十分だけど、彼らの関係性としては全然描写されてなかった。
蓮=九太が人間界からいなくなったことは単に神隠し=行方不明になると思うんだけど、「千と千尋の神隠し」の千尋と違ってあの世界に迷い込んだペナルティとして名前と記憶を取り上げられたわけでもない。蓮が自分で選んで熊徹のところに居着いた理由は熊徹が「孤独だった」からで、そういう意味で渋天街での成長を通過儀礼としてまた人間界に戻っていくっていうなら、最終的に人間の世界に戻るんだとしてもまだわかる。
そもそも渋天街で次の宗師を決めるっていってもその基準がわかんないし。強ければそれでいいんだ?
宗師ってポジション的にどう考えてもそれなりの徳がないとダメそうだから、普通に考えて街のみんなに慕われてる猪王山が妥当じゃん。なんで今の兎宗師は熊徹がいいと思うんだ?
そもそも街では応援してくれる人もなく孤独だったから九太は応援したわけで、そういう人をどうして宗師に見込むのがわからない。九太と暮らす間に成長して、結果として彼が街の人たちに慕われる存在になったっていうならともかくそうでもなかったし。
結局彼は闘技場の観客が言ったように付喪神になったわけだけど、それって功徳を積んで神格化するってことじゃないよね。そこからして意味がわからない。
そして九太。彼と熊徹が言い合いするのは根底に信頼感と愛情があるから…とは描かれてなかったような?確かに二人ならなんとかなる、ではあったけど、何かが足りないよ。
何よりも九太が人間界に戻れて(そもそも行き来可能なのに今までは出来なかったんだ?)そこで女の子と知り合って、知らなかった知識を得ておまけに父親の行方も分かった時に、どうして熊徹を拒絶するのか、ましてやなぜ実の父親と暮らしたい(=普通の人間としての暮らしをしたい)と思うのかまったくわからないから、そこに共感も出来ないのよね。
あの父親も、どうも奥さんのほうが由緒ある家の人間っぽくてそれで離婚させられたっぽいけど死んだこと知らなかったとか、蓮を探すのはいいけど未だにそれ引きずってるっぽい人となりってのも理解できん。8年経ってるんだからもう再婚とかして普通に暮らせよ…(;´Д`)(あと夕方のあんな時間に買い物して帰るってのは仕事も大したことしてないってことよね)
熊徹も九太が人間界の本を持ち込んでることを問い詰めはしたけど、九太が反発して父親が見つかったって言って飛び出して以降、まったく九太と話し合ってないし。つまり育ての父親としての葛藤が全くない。てっきり反発するのは本当の親子みたいなもんだから、そこまでにいろいろ葛藤や悩みがあって、その上であの二人は擬似親子してるんだと思ってたけど(いや描写はないけど)全然そうじゃなかった。というかそう描かれてなかった!(・_・;)
それじゃ通過儀礼にもならないし、父親越えにもならないよね。つーか育ての父親を捨てて実の父親と一緒に暮らすっていうことの意味がわからない。結果としてだけど熊徹は人間界に戻った九太=蓮と一緒に入るけどさー、そうじゃないだろよ。
 
そしてクライマックス、熊徹と猪王山が急に戦うことになったけど、なんで?
もうちょっと熊徹が戦う理由があるんだと思ってた。タイミングは宗師次第、その宗師が熊徹に弟子を取ることを薦めて九太が来たんだから、当然熊徹と猪王山の戦いは九太に見せるもの、九太が人間界に戻るというなら育ての親として九太を突き放すような子殺しの戦いじゃなきゃダメよね。そういう意気込みで戦って欲しかったわけ、熊徹には。
そこで実は人間だったからって急に闇を宿した一郎彦が闇堕ちするけど、そもそも一郎彦のそういう葛藤は描かれてないよ。九太と熊徹にどういう感情を持っていたのか、とかね。自分は父親に頼りにされてるけど親子の実感が無いのにしかも実は人間だった、だから擬似親子なのに似たもの同士で仲が良いのあの二人が羨ましかった…とかあればまだしも。
おまけにバケモノは心が清いけど心に闇を持つ人間をバケモノ界に入れることは許されないって言ってた猪王山が人間の子供を育ててたわけで、なんだったの?って感じだし、それこそそこで熊徹と九太に対比した構図かと思ったらそこにはまったく触れないし。そして一郎彦だけが暴走。(なんで鯨?知らねーだろ「白鯨」の話)
というかオレが一番「えー?」って思ったのは、そこで一郎彦を探しに行く九太に百秋坊が、瀕死の熊徹を置いていくのかって詰ったことだよ。というか九太も何しに行くのか言えよってことだけど。復讐じゃなく止めに行く、その理由が「あいつは俺だから」なのはいいけど、どう俺なのかもわかりません。そもそも九太と一郎彦あんまり接点ないし、仲良かったのは弟の二郎丸だし。
おまけにあれ問題あるのは九太じゃなく一郎彦の方だよね。人間界に現れて暴走してる一郎彦は、九太が止めに行く以前に猪王山が父親として何とかしろって話だよ。人間の子を育てた猪王山は一郎彦にどんな言い分があったのか。そこからして展開変だよ?猪王山が事態を収集しろよ。最終的になんで熊徹が大太刀になって尻拭いしなきゃいけないのか。ああ、熊徹、熊徹〜…。・゚・(ノД`)・゚・。
あれがもっと熊徹は力だけじゃない、九太と暮らすうちに成長してみんなのことを考えるようになった、だから強いし猪王山に勝って新しい宗師になったって話で、宗師としての決断が人間界とバケモノ界を救うためにあえて大太刀になる(付喪神じゃなくそこは神剣にして欲しいけど)、そして九太と二人で事態を収めるってことならまだ納得できたのに、「神格化の権利を譲ってもらった」って何?その展開、全然嬉しくねえー (>_<)
 
全体に映画としては、どうして九太と熊徹の疑似親子の話でまとめないのかわかんないし、人間には心の闇があるとかいわれても何の説明もないし、通過儀礼でも父親越えでもなく何がいいたい作品だったのかさっぱり。
でもまあアニメーション的にはとてもよかった。特に熊徹は素晴らしいし、バケモノ界(渋天街)は良かった。人間世界と被るように存在する異次元世界としてのバケモノの街ってのはなんの説明もなかったけど良かった。それだけでご飯十杯いけるくらいの素敵なファンタジー設定!これを、というよりこの中での九太と熊徹をもっと見たかったわー
だからなおさら本当にあまりにもいつも以上にとっ散らかった、メッセージを発してるんだかしてないんだかとても微妙な言いたいことだけ言いっぱなしの、人間(獣人)たちの関係性がまったく描けてないこの作品は残念です。熊徹が良かっただけにガッカリすぎた(∋_∈)残念、本当に残念です。