そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

昭和ライダーと平成ライダー

ちょい前に書いて放置しといたものを。(だって靖子たんの話でバタバタしちゃったからさ)
東映チャンネルの龍騎をそのままにしてたらスカイライダーが録れてたので見てみた。今週は1〜2話ね。
子供の頃は完全ウルトラ派でライダーのことは覚えてないんだけど、スカイライダーとスーパー1はちゃんと見てた記憶あります。内容は覚えてないけどさ。(歌は覚えてるからちゃんと見てたんだと思う。ブラックはうろ覚え←妹は見てたらしいからオレが覚えてないだけと思われる)
いやなんつーか、スゲーな、今見ると。というか子供の時以来、大人になってからは初めて昭和ライダーをちゃんと見ました。いろいろカルチャーショックで目から鱗がボタボタ落ちた。
相変わらずケツを決めない行き当たりばったりな気ままな考察なんで、どこに流れていくか判りませんが。ザ・ライブ感!(こればっかりや)
 
オレが電王を見てライダーじゃないじゃん、と思ったのは別に戦隊みたいなロボ戦をやってたからじゃなくて、子供が主人公で余りにも明るい雰囲気だったからなんですが、スカイライダー見るとやっぱり仮面ライダーの主人公って大人の方がいいんじゃないの?と思ったんだよ。この記事のコメント欄でもちょっと思いついて言ってみてんだけど、「仮面ライダー」と言うものは、大人が主人公だからこそ、大人が見てもいい特撮なんだってことはないだろか?
大人が大人の判断と倫理観で行動するのが面白いというかさ。(別に平成ライダーももう8作目だから電王みたいなのもあってもいいとは思うけど、まあそれはさておいて)
あと「正義」の定義づけがどうこうというより、「悪は悪」だから、「悪は許せない」「悪と戦う」という単純なことでもいいんじゃね?と思ったり。
正義と悪との二元論的な分け方は単純ゆえに子供の論理って捕らえがちだけど、それを言って説得力があるのは子供じゃなくて大人なんじゃないかなあ。子供番組の「正義」の価値観じゃなくて、その主人公の「正義」の価値観で行動するところがドラマとして面白いんだし。まあそれもひっくるめて作り手側の価値観「何を見せたいか」なんだといえばそうなんだけど、子供の主人公の判断じゃなくて、あくまでも大人の主人公の判断だから、大人が見て感情移入できると思うんだけどなあ。だからスカイライダー=筑波洋が説教しても、その言ってることが正しいって思えるし。(といっても筑波洋って大学生だったのね)
いや、子供の発する真っ当で素朴な疑問も正しいとは思うけどさ。(子供が「悪いことは悪い」といえば大人だって納得するか?うん、するかもな)
でもこれ(スカイライダー)見てると仮面ライダーが大人だから、頼りにするし憧れるって気持ちはあるんだと思うんだよね。
 
そういう意味では平成の、特に白倉ライダーって「大人」というよりは「若者」といえる世代の人間たちが主人公で、等身大の悩みや苦しみの中で自分の納得するところを目指して戦っている、それが正義かどうかは判らないけど、その「判らない」ということこそがテーマのようなものになってるというのは、単純明快な昭和のライダーと比べたら確かに複雑でドラマティックだから、ある意味面白い。つまり仮面ライダーというドラマを通して「見せたいもの」自体が、価値観の多様性とか、正義はひとつじゃないとか言うことになるんだけど、そうじゃなくて「悪は悪」でいいんじゃないかなーと。それは戦う側にどんな正義があっても関係ないじゃん?と思っただけなんだけどね。
 
スカイライダーの1話を見てて衝撃を受けた会話のやり取りがいくつかあったんだよね。
ネオショッカーの処刑場で筑波青年が死んだと思った志度博士が『私は何のためにあの青年を甦らせたのか』と悔やむ直後に仮面ライダー(スカイライダー)が『悪と戦えとの願いからではありませんか』といって現れるところ。
あと志度博士が筑波青年を改造して人間でなくならせてしまったことを悔いて憎んでくれと言っているのに、当の筑波青年は『私は博士を怨んだり憎んだりしません。逆に今は感謝する気持ちです。ネオショッカーの悪を知った今、それと戦える力をくれたことに感謝します。私は悪を憎みます。ネオショッカーと戦います』と物凄く前向きな発言をしていること。
仮面ライダーが悪と戦うために新に得た力で空を飛ぶ様を見て、志度博士が『筑波くん、君こそ、君こそ仮面ライダーだ!』と叫ぶところ。
なんつーか、ちょっと目から鱗。改造人間の力を「素晴しい力」といって憚らないところがなんともいいんだか悪いんだか・・・って気はするけどな。もちろん、今の時代そんなのありえないだろうけど、それくらい単純に悪を倒すってのもいいんじゃないかと思ってみたり。いやビックリしたけどね(笑)
脚本は敏樹のお父さん、伊上勝氏ですがね。
 
考えて見ると今までの平成ライダーって、そもそもが手に入れた「力」を使って何かと戦うということに対して「悩む」ということが前提になってるわけで、放浪者の五代くんも、記憶喪失の翔一くんも、他人のことに興味のなかった乾巧も、仕事としてやってた剣崎も、みんな最終的には戦うこと自体に悩むような展開なんだよね。相手が妖怪でそれを倒すのが仕事だったヒビキさんの悩みは別のところにあった・・・ということを考えると、天道だけは力を手に入れることを望んで、少なくともその力を「敵」を倒すために使うということでは悩む必要がなかったというところが*1、非常に「昭和のライダー」的だったんだよね。まあこれは最初からの喧伝通りだけど。
「力」というものを「正義」という建前のためになら使ってもいいのか否か、それが悩むポイントになるわけだけど、そこが自我が確立していない「若者」のメンタリティに於てどうなのか、自分のやってることは「正しい」のか、「正義」なのかということが「力」を使うことを躊躇するという袋小路に陥らせてんだよね。
とすると平成(白倉)ライダーの何がまずかったのかというと*2、白倉ライダーの宿命というべき、見かけは大人であっても中身のメンタリティは子供のそれだったということなワケで*3、白倉ライダーの主人公たちがいつまでたっても「大人」になれない以上、平成のライダーは昭和のライダーのような「悪だから悪い」という明快さを得ることが出来ず、悩み続けるのかも知れません。*4
あと平成ライダーの場合、明確に「悪」を謳わないんだけど、それは本当にいいのかな?実際、現実社会でも「これは悪だ」といえるものって結構あると思うんだけど、そこをいつまでも曖昧にしてていいのかな。魔化魍は確かに悪じゃないけど、ワームは悪にすることが出来たはずなんだよね。他のライダーの場合は微妙にその戦ってる相手が「イコール人類・人間」にすり替えられてるせいで*5 それって本当に悪なの?というテーマにもなってる。これは明らかに白倉さんの描きたいことだと思うけど、その「敵=悪ではない」というのは、本当に平成ライダーにとっていいことだったのかなあ?悪を悪だと定義できないから、「正義とは何ぞや?」っていう袋小路にハマるんだと思うんだけどな。
 
平成ライダーのキモの人間ドラマの部分だけ見てても、その辺が消化不良になってることを考えると、難しいテーマであることは間違いないわけだし、ドラマとして描きがいがあるテーマだからやってみたいというのは判らんんでもないけどね。主人公たちが戦う理由としての結論は確かに出ている。でもその「個人的な理由」を「とりあえずの結論」でしかない、万人向けではないとする結果が(当たり前なんだけどさ)「じゃあ"正義"って何なのよ?」になっちゃうんだよね。それだといつまで経っても「悪だから悪い」にはならないし、まあそういうある意味短絡的でシンプルなところにはドラマが生まれにくいといえばそうなのかも知れないけど。結局白倉ライダーのやりたいことが「若者が自分の有り様について惑い悩む」ということであるんならね。
大人だって悩むんだけど、それは若者のそれとはやっぱりちょっと違うと思うんだよね・・・とある程度年がいくとそう思っちゃうんだけどさ。*6
仮面ライダーの主役は大人なほうが大人が見るものとしては面白いんじゃないかしら?というところから出発した話ではあるけど、今度の電王は子供(年齢に関係なく「子供」な括りの人間)が主役。最初から主人公が子供だとどうなるんでしょうね?白倉ライダーの突破口になるんでしょうか?(これ結論?)

*1:ひよりのことで悩むのはヒビキさんと同じくまたちょっと違う部分での悩みなので。

*2:実際は平成=白倉ではないのだけど、平成を代表して平成=白倉という大ざっぱな括りなことはご容赦。表記についてはニュアンスで使い分けてると思って下さい。それと、悩んではいるけど高寺印の五代と日笠印の剣崎のメンタリティは「子供」ではないと思うんだ。特に剣崎の場合ライダーとして給料をもらっていたというのは大きいと思う。

*3:555の乾巧の場合、設定的には18才の未成年であってもやってることは20代の若者と同じ、もっと言えば彼はオルフェノクだということで年齢よりは達観して老成した個性を持っていたから、この際設定上の年齢は余り関係ないと思うんだ。

*4:善悪の判断以上に、個々の事情を鑑みても悪いことは悪いと言えるのが大人じゃないかと・・・例えば社会的に悪いとか、逆に社会的には許されてるけど個人的には許されないという仕置き人的発想とかは大人の価値観での判断だと思うんだけど。子供向け番組としてどうかというのはおいといて。

*5:剣の場合は悪ではないけどはっきりと倒すべき相手が判っているのに、それが「友人」にスライドしたため倒せなくなった例。

*6:だから妖妖士のある意味誤魔化しが入ってる大人の決着の付け方が面白いと思っちゃうんだけど。