そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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ああ靖子たん!

ここのブログを、少なくとも電王から見て下さってる人はご存知かと思われますが、オイラは小林靖子の脚本はそんなに好きではないです。なので小林脚本については語る言葉をそんなに持っていないので、靖子たんがどうこうというより、平成ライダーの脚本家としてどうなのよ?ってことで。
その前にオレのスタンスをちょこっと説明すると、平成ライダー(と同時期の戦隊、つまりタイムから)は録画してキッチリ見てるんですが、スタッフを気に掛け始めたのは剣の頃からですね。遡って確認をしたりはしましたが。Pについてもシャンゼリオンがすごく好きだったのでやはり遡って白倉さんの仕事かーという認識はしましたが、それだけ。
平成ライダーを全部見てても(少なくとも録画を2回は見てる)それぞれを比較して語らないのは、入れ込み度合が違うから同じように語ることが出来ないし、スタッフを見てたわけじゃないからその辺で細かく仕事振りを語ることが出来ないから、というのがあります。
ただ単純に、とても好きなのは剣とカブトとアギト、そんなに好きでないのはクウガと555。これじゃ知ったふうに語るのは、まあぶっちゃけそりゃあファンの人に対して失礼だろ、ってことなんですが。(自動的に高寺さんと白倉さんについても語れなくなるという罠)
脚本家に対しても同様で、平成をやった脚本家で好きなのは會川さんだけなんだけど、それも剣が自分好みに出来が良かったからそれに関しては評価するってことであって、會川さんだから全部いいというわけではないんだよね。それでも他の脚本家より好きだと言うことには変わりはないですが。(これは単に他の脚本家については語るほどはよく知らないってことです)
だから語るのは「平成ライダーの脚本として」ということだけね。基本的にはいつも言ってますが、現状の「電王」をあまり面白く思ってないということ前提で。

ということで本題。


電王について自分があまり面白く思ってないのは、ハッキリ言えば脚本が靖子たんで、そもそも靖子たんのツボが自分が面白いと思うツボやベタと思う展開とはズレてるからで、それはどうしてかというと靖子たんの根がシリアスで暗い部分がどうも自分の性には合わないから、というのは以前にも書きました。(引こうと思ったけどいっぱいあったからやめました、興味ある方は「電王」カテで検索ドゾ)
lotusteaさんが靖子たんの特ニューでのインタビューのことを書いてたんで、ちょっと思いだして書いておこうと思ったのですが、あのインタビュー内容に関してオレがそれはどうよ?と思ったところがあります。

あのインタビューをざっと読んだときに最初に引っ掛かったのは、靖子たんが「決めゼリフによるキャラ立てはあんまり好きじゃなかった・・・(略)・・・やっぱり必要かなって思います」なんですが、そもそも靖子たんはわりあいにリアリティを求めるタイプで、キャラの立てようとか感情にしてもある程度理屈を通すタイプだと思うのですね。(キャラの造形は嫌いじゃないんだけど、その辺の理屈の通しようが通り一遍、というか予想の範囲内なので、オレはあまりピンと来ないのですが)
ということは放っとけば多少のカタルシスはあるけど全体に地味になりがちで、しかもベタではないというのが彼女の作家としての特性だと思うのですね。
カタルシスってのは本来、思いきりベタに我慢する展開を重ねてそれを覆したときに起こるものだから、靖子たんの作劇ではローリスク・ローリターンのカタルシスしか得られないのですね、オレは。
だからそういうタイプの作家がちょっと技術的にセリフでのキャラ立てを使ってみたからといって、根っこの方までそういうキャラ立てが出来るかといえばそうではなく、その辺はキャラ立てそのものからイロモノキャラの井上産のキャラを見れば判る通り、靖子たんのキャラはそもそもが破綻のないキャラなんですよ。
「電王」は表面的にはポップで楽しいと見せておきながら、靖子たんみたいなタイプの脚本家を使ってシリアスな世界観の話をやるって言ってんですが、シリアスだと言われると、靖子たんは本当にシリアスにしかやらない、というか出来ないと思うんですね。
インタビューでは「モモがいる限りシリアスにはなりようがない」と言ってますが、「龍騎」を引き合いに出してるので、それはあくまで「悲劇的ではない」という意味であって、ファンタジーな作品ではあるけど根が真面目という意味でのシリアスさは求めてると思うんですね。(シリアスという言葉の意味の問題だとは思うけど)実際脚本だけ見てるとそんなにお話としては破綻もしてないしノリで楽しく見せてるわけでもない、今までの平成ライダーのテイストだと思うのです。この辺の受け取りようは見てる人によっても違うと思うけど。
その脚本の真面目な部分を上手く「楽しくポップ」に見せてくれてるのが演出陣で、まあオレの好みの問題ですが、石田監督の回なんかはちょうどいい具合にバカみたいなハイテンションで「楽しくポップ」を見せてくれてると思うので、その辺はいいんですね。


ところが靖子たんは特ニューのインタビューでこんなことを言ってるわけです。

これまでの自分が書いたものの傾向として、"視聴者にキャラをわかってもらいたい!"という書き手としての気持ちから、地味な積み重ねをやったりしていたんですが、そんなシーンはよほど真剣に見ていな限り退屈だったりするんです。なので『電王』では、自分が面白くないと思う部分は省いて、とにかくまず視聴者が楽しいと思えるもので構成して、その中でわかってもらおうと考えてるんですけど、それが難しくて・・・・・・
(中略)
それにゲストキャラの事情って、視聴者にとってどうでもいいっちゃどうでもいい。(後略)

まあそもそもが靖子たんの脚本は面白くないなあと思ってるオレからしたら、まず思うのが「靖子たん内での(たぶんPの意向もあると思うけど)『面白い・面白くない、楽しい・楽しくない』は、本当に視聴者のそれと同じ感覚なんだろうか?」ってことです。
靖子たんが「面白い」と思ってるところですらオレ的には「あんまり面白くない」と思ってるのに、靖子たんの得意な「キャラの感情の積み重ね」部分を取ったら、何が残るのよ?自分で「退屈だ」と思ってるのは、単に誰が見ても面白くないから退屈なんじゃななかろうか?としか思えないのですね。
それにこの靖子たんの言う「視聴者」は誰を指すのか?
平成ライダーは視聴対象は児童ということですが、多くの大人も見ているし、それを当て込んだ作りもしている。とすれば、子供は見ても判らないから・・・は少なくとも平成ライダーに関しては完全には当てはまらないわけですね。実際靖子たんの仕事でいえば「龍騎」の時は子供向けとは言いながらも、ある程度上の年齢を見込んで話やテーマを設定してたってのはあるだろうし。(そもそも出てくるのは大人ばかりだし)
少なくとも小林靖子ファンだろうと思うlotusteaさんはこれに対して、「本来小林靖子が得意とするキャラの感情の積み重ねを落としてまでも、判り易さを求めているところに物足りなさを感じる」(大意ですが、違ってたら言って下さい)と言ってますが、もし靖子たんが本当に「視聴者はそんなところに重きを置いてないから書かなくてもいい」と思ってるんだとすれば、それは大いに勘違いだと思うのですね。(もちろんPの責任も含む)


私事ですが、実は児童誌関係で仕事をしているせいか、そういう判断を迫られることがよくあるのですが、対象が子供だからということでネタとして判る判らないで使えないと落とすところはあっても、内容的に理解出来るか出来ないかで落とすってことはあまりないです。判り易く言い換えるということはあっても、描写を落としてレベルを下げるということはないのですね。
といっても大したことはやってないんですが、仕事自体版権物で児童対象ではあるけど、版元の意見や編集部の意向、自分のカラーなど、その辺でいろいろあったり(最近は面倒なので担当編集に丸投げしたりしますがw)するけど、基本、自分たちが面白いと思っても子供的に不可だろうという判断とか、自分的にはどうしてそれが面白いのか判らないけど、対子供の観点で面白いならオッケーという作り方をしなければならないので、その辺のさじ加減はかなり難しいということですね。適当にやってても受けるものが作れるんならそれに越したことはないけれど、単に自分の元々のカラーが子供向けじゃないので苦労するということです。
でもどっちにしても「子供に受ければ勝ち」ではあるので*1、その点で「電王」が今どういう形であっても受けてるんなら、靖子たんがどういう仕事をしようがその現状が正しいって事になるんですよね。
ただ、子供にはぱっと見楽しく見える話で、電車が変形して戦隊物のようなバトルがあれば満足であるだろうと思うのですが*2、ライダーの場合大人もそれなり本気で見てるので、靖子たんがその大人が読むであろう特ニューで「あえて作品の出来として、話のレベルを下げてる」(意訳ですがそういうことだと思う)と言うのはちょっとどうかなーと思うのです。
実際、脚本の内容は今のところかなり薄くて、演出で膨らましてそれなりの状態。キャラの感情面もそれなり押えつつ見かけ楽しくが出来てるエピソードは数えるほどしかない状態で(オレ的には石田監督回とキンタの登場エピくらい)、1クール目はキャラ紹介だからといわれてもねぇ・・・と思うんですね。
番組的には話がまとまってなかろうが単にストーリーを展開するだけの面白みがない30分であろうが、ギミックが面白くて子供に人気があればいいわけで、作品としてどうというより番組的によければいい、子供に受ければいいと言われたら反論する余地はないのですが、やっぱり自分は大人なので、見て面白くないよりは面白いほうがいいわけです。少なくとも現状の電王のドラマに不満がある以上、わざと脚本的にドラマ部分を落として判り易さを取ると明言するのは如何なもんかと思うわけです。

「電王」の話にしたって、石田監督の回ではハイテンションではあるけど必要なキャラの感情はちゃんと描かれてるし、理由も理屈もその話の中では筋が通っているわけです。(逆に話に筋が通っているように思えるのに演出のせいでイマイチになったっぽい米村脚本回というのもありますが)だから出来なくはないと思うし、脚本の描写が薄ければ演出でカバーしてくれればいいのに、そのままやるから脚本の粗が目立つって事でもあるんですが・・・(となると、面白くないのは脚本のせいってことになる)
というか、内容と子供受けの面白さ、どっちも取れると思うんだけどさ。今までの平成ライダーは自分たちが見てても面白かったわけだし。(アギトとか面白いじゃん。放送当時視聴率もよかったし)
靖子たんは折角の自分の持ち味を殺してまでやるくらいなら、もっと別の視点から作り込んだほうよかったような気がするんだけど、これは靖子たんだけの責任でもないよな。白倉さんの脚本家の玉数が少ないのが問題なんであるし。でも今のところ、ちと靖子たんには気の毒な気がするなあと、オレでも思いますが。

*1:実際「電王」の場合、電車ネタということにかなり食いついてるんで、人気は高いらしい。

*2:余談ですがその分今年は戦隊物が割を食ってるという、仲間内でパイを食いあってどうすんだって感じではあると思うけど。