そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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リアリティって言うか

こないだ書いた記事ですが、コメント欄で自分で言っといてそんな簡単なことだったかーと思ったんで、別エントリーで上げとくです。
オレがカブトや電王を他の平成ライダーよりもどうして「より荒唐無稽だ」と思うかというと、これはすごく主観的なことなんですが、劇中リアリティの拠所が違うからなんですね。
ライダーたちの存在理由やそれが技術的実現可能かどうか、怪人や怪物の存在理由はそもそも番組が成り立たないからおいとくとしても、それ以外の部分の問題。
例えば「主人公が一度死んで生き返ったオルフェノクだ」(555)とか、「鏡の世界にモンスターがいて人間を襲う」(龍騎)とか言われるより、「世界で一番の俺様な主人公」(カブト)とか、「有り得ないほど不運な目に遭う主人公」(電王)と言われるほうが、むしろ有り得ないというか「んなアホな!」と思うというか、荒唐無稽な話に思えると言うだけなんですけどね。
まあこれは自分個人の主観的リアリティのボーダーラインによれば、ということですが、一応前のエントリーでも説明はしてるように世界観の立脚点が違うのは確かなんですね。
何が違うかというと、響鬼以前のライダーは世界観に拠った「有り得ない話」のリアリティで、それは客観的な部分での有り得なさだと思うのですね。要するに、その世界観の中で成り立つような嘘を付いて、その存在理由、「有り得る理由」を作れば、その「有り得なさ」は成り立つんですね。
つまり「鏡の中にモンスターがいる世界だから」と言いきられれば、それが実現可能かどうかは関係ない、そういう「物語」だと視聴者は認識できるわけです。(それでいえば響鬼魔化魍なんか、実はいるんだと言われてもあんまり違和感がないという点において無理がないんですね。人が"鬼"になれるかどうかはさておき)


ところがカブト・電王の有り得なさは完全に「主観に拠った有り得なさ」なんですね。
例えば天道の俺様な万能さって、世界観で証明できないものなんですよ。そもそも自称に近いし。だから最初は劇中のキャラクターのみんなが突っ込んでる。普通では不可能なことが出来る理由として「俺が世界で一番だからだ」といわれて納得する人間が果たしているのか?まだ「主人公だからだ」といわれるほうが納得出来るけど、それじゃそもそもシリアスなドラマにはならないし。カブトになることを何故だか定められていたということも含んで、その自称の部分を認めざるを得ない、実際有能ではあるけど、でも本当に世界で一番かと言われたら言えないだろ、と普通は思うはずです。
でも「カブト」という作品の世界観は、その天道を世界で一番だと言ってしまうことであの世界のリアリティを成り立たせてしまう。ゆえに世界そのものが主観的になってしまって検証不能になるってことですね。
言い方を変えれば、いくら主人公でもただの人間である劇中人物のひとり(つまり天道総司)がアリだといえばアリになるって、それは「マンガ」でしかないでしょう(笑)
つまりはメタ視点な外側の人間、視聴者が納得出来るか出来ないかで、カブトのリアリティの「有り得なさ」を認められるかどうかってことになるんですね。(例えば同じことをやっても、ギャグマンガなら納得出来ることでも、シリアスドラマだと「そりゃないだろ」と思ってしまうということ)


電王も同じなんだけど、こっちはまだ良太郎の不運を周りの人間が「有り得ないほど不運」と認めてるというレベルだというだけで、世界観まで決定するほどではない。でも実際良太郎がそんな不運な目に遭うということが「特異点だから」ということになれば(不運は良太郎だけの個性かも知れないけど)それは特異点の説明として主観的要素が加わるということにおいて、リアリティの立つところは荒唐無稽にならざるを得ないんじゃないかなと思うわけです。
むしろ「主人公だから特異点なんだ」でもいいけど、これは今までのライダーの「ひょっとしたら誰もがライダーになれる可能性がある」という部分において、やっぱりリアリティが「マンガ」レベルなんですね。マンガじゃよくある設定だし。
というか振り返ってみると、意外と平成ライダーの主人公って誰でもライダーになる可能性を設定レベルで示唆してるんですよね。*1
でも電王とカブトでは、主人公は最初から特異な存在として描かれてるわけです。良太郎は設定レベルでの特異な存在、天道は物語の在りようとして特異な存在として。
逆に言えばそれ以外の、イマジンが憑依したり過去に飛んだりできることは今までの平成ライダーの客観的リアリティで説明出来るだろうということですね。
雰囲気そのものや設定の甘さ、キャラ描写の浅さとかはカブト並だけど、全体の枠組みがそれ程破綻しなければ、電王はカブトほど荒唐無稽にはならないんじゃないかと言う気もするんですが、でもそれゆえに中途半端になる恐れもあるんじゃないかと思うんですけどね。(これは個人の主観の問題ですが)
カブトの場合はよくも悪くもキャラクターの個性が強すぎて、その分キャラにしてもストーリーにしても触れ幅が大きかったせいで好き嫌いがハッキリ出てしまったとも思うんですが、その辺も荒唐無稽なフィクションの運命というか、まあ仕方なかったんじゃないかというか・・・。
好みでいえばカブトの方が好きなんですけどね、メチャクチャでも振りきってるほうが(苦笑)

*1:ライダーになる条件や可能性は全ての人間に内在されてるけど、主人公ライダーとして戦うのは、それがその主人公を必要とする物語だから、という感じかな。