そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

銭ゲバ#2

http://www.ntv.co.jp/zenigeba/
このドラマ、ウチの相方は貧乏の話は見たくないといってパスしてるんで、週末はついつい見るタイミングを逸してしまいます。まあそういう人もいるよな。
今回、見てて一番切なく泣けたのは風太郎が遠足写真のことを思い出しつつ、ごみ捨て場の雑誌の切れ端を踏みつけて笑ってるとこです。ホント見てるだけで涙出た。
このドラマ見てるとどうしてもドラマの役が、じゃなく松ケンがどうなのかってことを言わずにはいられないというか、そういう意味では流星の時の二宮と同じなんですよ。いつもそうなわけじゃないけど流星の二宮と銭ゲバの松ケンは、彼らがどう感じて演技をしてるのかってことをいやが応でも考えさせられるというか。
二宮はキャリアもあるし、ある程度演技メソッドがあって技術を使ってるのは判るんだけど、松ケンはそういう技術があるわけじゃないけど別の次元でやってるというか‥‥なんというか、彼が風太郎というキャラを正しく理解して正しく演じてるのは確かなんだけど、このドラマの制作側と松ケンが見てる「正しい風太郎像」に対して、松ケンがどういう「考え(哲学)」を持ってドラマに臨んでるのか?ってとこの問題というか。
ドラマに対してのTV雑誌程度へのコメントでも「答えを模索しながら」って言うくらいだから、演技プランとかじゃないんだよね、たぶん。"風太郎として役になりきる"でなく、風太郎を演じるためにはどういう人間でいるべきなのかというところから入ってるような気がするの。オレの言ってること判りにくいかな?オレも何言ってるのかちょっとよく判んないけど。言葉の表現って不自由だな。
つかまあ松ケンの風太郎を見てると、風太郎が判らないんだよ。駆け引きをしてるのか、心からそう思ってるのか。茜に対して嘘を言ってるところはさすがにそういう話だったからともかく、心の底が読めなくて不安になるよ。オレがそう思うだけ?ドラマのキャラを見てるんじゃなくて、本当に、そこに心の中を知ることの出来ない一人の青年がいる状態を、ドラマという虚構の世界で見てる気になるんだよな。
だって、風太郎が茜に近づく時のどこからどこまでが信用させるための手なのか判らないんだ。どういう気持ちで泥棒容疑を晴らすために裸になったのか。茜に対してのパフォーマンスで時計を海に投げ捨てたのかどうか。やってることの意味は判るけど、その気持ちが判らないんだもん。
荻野刑事に詰め寄られた時に優しかったお兄ちゃんが死んだことを初めて知ったかのように涙を流すのも、お話としてそういうシーンだってのは判るけど、その時どう思ってたのか判らないんだよ。主人公の考えがわからないってだけで、なんだか不安になるし目が離せないって気にもなるけどさ。
とにかく茜の耳を塞いで微笑みながら、酷い、でも風太郎にとっての真実を呟く彼が、どういう気持ちで茜に「愛してる」と嘘をいうのか、その風太郎が一体これからどうなりたいのかは気になってしょうがないです。幸せになれるのかなあ、風太郎は。どう考えてもなれそうにないけど。幸せってのも人それぞれ、相対的な感じ方の問題だから、自分の思う頂上に昇りつめたところで幸せとは限らないしなあ。