そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

Q10#4

http://www.ntv.co.jp/Q10/
脚本:木皿泉 演出:狩山俊輔
しょっぱなから中原中也(苦笑)。死が隣にありすぎてコワいよう。先行きが見えなさすぎる?見えないのは平太自身だけど。
自分のことを「普通」で「平凡」だと思いたい平太は、自分が何かになりたいとかなれるかも知れないという可能性を自分の中にだけ求めているから、自分が何かになれるわけがないと簡単に諦めてしまっているってことか。
それはなれないんではなく「なりたくない」のかな。終わるのが怖いから何も始めたくないってのと同じで、先を考えたくないから次にどうしたいのかもわからないし、答えも出ないと。
そういう平太の「自分は病気だからしょうがない」っていうあきらめの気持ちが、家族に大変な思いをさせてることにあえて気がつかない振りをする、この世の中の「どうにもならない」(と平太自身が思っている)ことを、あえて「どうでもいいこと」にしてしまって、「大事じゃない」と思ってしまえば、努力をしないことの言い訳が立つってことだよな。
そういう平太の心持ちをQ10は落語の「唐茄子屋」の若旦那に見立てて「ご無体な」と涙を流すって寸法か。
「人の情けがわからない」っていうのは、唐茄子屋の若旦那が努力を知らないってことじゃなく、自分が「人に生かされてる事に気がつかないことの無神経さ」ってことじゃないかなあ。そうじゃないと〜ってか、唐茄子屋の話を努力をするかしないかで解釈しちゃうと合わないよな。今回のお話的には。
「どうせ」っていうのはそのあとに大抵「無理に決まってる」とか「無駄だと思った」とか否定的な言葉が続くんだけど、自分の中で完結させても視野は広がらない、つまり世界は広がらないんだよな。
進路を考えてた影山(賀来賢人)が、河合さんが影山と同じ大学に行きたいというのを聞いて河合さんの志望校のレベルを下げるわけにはいかないからと、無理を承知であえて彼女と同じ大学を志望するとか超エライんだけど、そういうふうに他人と繋がることで世界が広がっていく、その中には無理なことを無理だと思わず挑戦することで可能性が広がっていくという良い作用になることもあり、それが人間の「永遠」なんではないかと思うのだ。

『人は、成れるものになるんじゃなくて、成りたいものになる』『誰の言葉です?』『中尾‥‥』
山本さん(蓮佛美沙子)も久保くん(池松壮亮)と出会うことで、「どうせ」駄目だろうと思ってた進路に思わぬ道が開けてそのこと自体に驚いてたけど、小川先生にそれを言わせたのは中尾の無茶な進路設定だった‥‥というのも、人と人とが繋がって関わることで世界が広がっていくという、きれいな流れだったなあ。
何か行動を起こすことでひとつづつ見えていくものが広がっていくっていうのはこのドラマで毎回描いていることかと思うけど、それがどこで繋がっていくのかわからないから面白いのかも知れなくて、それらはみんなバラバラのことであってもどこかで繋がっていく、それが「永遠」ってことじゃないかと思うんだよ。ひとつひとつのことは終わってしまうけど、そこから見えた何かや感じたものは終わらないで繋がっていく。
だから平太は今までできるだけ誰にも関わらないようにひっそりとおとなしく生きてきて、家族に迷惑をかけていると気がついててもどうにもできないと思っていた。その無力感が生きているのか死んでいるのかわからない状態で、だから世界が終わればいいのにと終わることばかり考えていたんだろうけど、誰にも関わらなきゃ終わりにしか向かわないものが、誰かと関わることで違う世界が見えたり永遠と呼べるものを見つけたり出来ることが「生きてる」ってことじゃないかと思うなあ。
さすがに藤丘のうちでいきなりおさんどんをやってる校長先生はどうかと思うけど、手作りルナちゃんグッスを街角で売ってる藤丘弟もどうかと思うけど、その唐突さは置いといて。
藤丘自身が両親の離婚や家の貧乏について「どうにもならない」と思ってるから「どうでもいい」と思っていたけど実はそうではない、出来ることがある、努力することで何かが変わるかも知れないという努力の方向性を校長先生が教えてくれたんだよな。それは学校に自分のイニシャルを刻むことや空に向かって叫ぶことよりももっと実質的で実のあることで、誰かのために何かをすることは無駄じゃないっていうことなんだけど、それをちゃんと努力することが大切で、何もしないで与えてもらえるものはないってことかなあ。何かをやればその分返ってくるかも知れないと信じるしかないじゃんみたいな。

『この世の中の殆どはー、”どうでもいいこと”と”どうにもならないこと”で出来てんだよ』
平太のそのいいようだと、富士野のいう23%の暗黒物質が「どうでもいいこと」で、73%暗黒エネルギーが「どうにもならないこと」。それで大切な事はたったの4%しかないってことだけど、その4%を見つけて抱きしめることが出来ればそれは「永遠」なんじゃないかと思う。手に触れられる物質が4%だって富士野はいったけど、永遠なのは形のある物質じゃなくそこに見えない気持ちの方で、人が人を思う気持ちは永遠ってことじゃないのかなあ。たぶん地球が終わっても残ってるのはそういう「物質でない物」ではないかと。
富士野(福田麻由子)が当たり前の歴史の話をするが如く未来では「永遠」という言葉はなくなってるといったけど、それは宇宙の構成を語るのと同じで根拠はないんだよな、たぶん。永遠を信じてないから簡単に「永遠なんてない」って言ってのけるんだと思うけど。
Q10を抱きしめながら「俺は今宇宙の4%を抱きしめている」という平太は、やっとどうでもよくないものを見つけることが出来たのか、な?少なくとも大事だと思えるものがそこにあるという実感は感じたんだよな。
ところで今回平太は久保くんのお見舞いに行かなかったなあ。ちょっとさみしいなあ。
久保くんの本音を山本さんは「ロック」だと言ったけど、今あるものを揺さぶって壊していくのがロックだから、久保くんにとって、どうでもいいものはどうでも良くないってことかなあ。どうでもよくないから外の世界に行って確かめたかったのかなあ。平太は久保くんにもうちょっと気を使ってください、本当の友達なんだったら。
それでQ10のメンテナンスをする富士野月子は何者なんだ?
「その人じゃなきゃダメ」ってのはどこに掛かる話かわかんないからとりあえずスルー。校長先生のアンパンの話も、わからなくはないけど藤丘のそこではないと思うのでスルー。あれは後悔の話だから、今するべきことを間違えちゃった話‥‥じゃないかなあ。どっちかというと平太と久保くんとQ10の関係か?Q10がアンパンなのかなあ。平太の大事なモノはなんなんだ?というか平太は自分が持ってる大切な物にまったく気がついてないよなあ。
というかQ10が平太と関わってることは富士野にとって偶然なのかな?最初から平太がターゲットってことはないかなあ?
ところで柳教授(薬師丸ひろ子)はどうして「愛獣」が喫茶店だってわかったんだろ?(笑)
 
そういやオレも18くらいの時に会社の先輩(わりとナイーブな感じの男先輩)に「だってとかどうせとか、絶対言っちゃダメ。そこで腐っちゃうから」って言われたよ。それはなんでかずっと覚えてるなあ。ときどき言っちゃうけど。