そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

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タイムスクープハンター シーズン4 #7「走れ!散髪ポリス(明治時代)」

http://www.nhk.or.jp/timescoop/
脚本・演出:中尾浩之
 
久しぶりに地方の話。新潟。今回は字幕テロップがありがたいなw
普通に考えて、いくら散髪しないからといっても公務員が勝手に髷を切るのは今でいうと器物損壊でいいんだっけ?後ろからこっそりって、同意取ってない分もあるから完全に犯罪だよなあ(^_^;)
何事も形から入る日本人らしいといえば日本人らしい話ではあるんだけど、今なら有無を言わせず坊主頭ってのと同じくらいの暴挙になるのかなあ。散切りのほうが自由度は増すしたぶん楽なはずなんだけど、そんなこと誰も望んでないってのが。
そして女性は散切り禁止とか、相当ダブルスタンダード?丁髷もだけど女性の島田も本当にどうしてああなったのか、まったく理由がわからんよ(笑)謎すぎるよ江戸文化‥‥
そうそう前々から思ってんだけど、なんで江戸時代って「髷」みたいな特殊な髪型が当たり前のように流行ってたんだろう?てか、流行ってたとかいう話じゃなく、それしか出来ないからなのか、それをカッコイイと思うその美意識がわからん‥‥という話を友達にしたら、中世ヨーロッパのロール頭(あれはカツラだけど)や、中国の辮髪とかも結構長かったじゃんと言われてまあ納得しなくはなかったけど、でもやっぱり半分剃るという髪型は変だよなー?(辮髪に比べたら‥‥ってのはあるけどw)
しかもその中で粋だの何だの、微妙な違いがあるんだよ?(参:大奥w)
それでいったら髷にしても着物にしても、形がかっちり決まってて、その自由度の少ない中で差異を出すってのは大変に島国ニッポン的な文化ってことなんだろうか。いやもちろんヨーロッパや大陸だってそれなり「形式」ってのはあったと思うけど。
 
ということで髷の断髪に反発・反対する人々。
とにかく形式から入れば中身も変わるという、まあある意味正しい変化の認識だけど、押し付け。なんとなく一番問題なのは曲げでも散切りでも似合ってしまう着物という服飾文化のせいな気もしなくもないが。だって洋服にチョンマゲって明らかにおかしいよなあ…?(ってとこでオーズ映画:将軍と21のコアメダルを思い出してしまうのもアレだがw)まあ着るものを変えるより髪型のほうが簡単でお金もかからんってのはあるだろうけど。
そういう形式的な変化のお仕着せに対して、中身(精神的)の問題として変化に対応できない人々の困惑度合いからきた騒動として、興味深い事例かなあと思う。
いや変化自体も形式的じゃないんだよな、世の中は確かに変わったんだけど人は変わってないというのが問題なのであって、やっぱり変わったということの認識って、中身よりも外見ってことなのかなあという話。あと福井といいこの新潟といい、地方だってとこも関係あるのかと思うけど、揃って日本海側ってのは地域性ってのがあるのかな?他の地域はどうなんだろう。
よく考えなくても、今回抵抗してたのは元侍だけど髷自体は侍の象徴でもない、きちんとしてること、自律の心根としての侍の有り様だというならそこに魂があるかもしれないけど、硬直化した考え方で実がないってのは、倉本なんかがさっさと明治政府の公務員としての自覚で仕事してるってことを考えると、やっぱりねえ‥‥ということなんだしなあ。
確かに髷ゆってても公務員の仕事はできるだろうけど、公務員というからにはお上が決めた規律ってのもって大事だよねという話、かな。(ってとこで大阪府の刺青問題思い出したw)←なんかタイムリーw
それにしたって無茶な話だとは思うなあ(^_^;) 髪型くらい自由にさせて欲しいぜ?ここで日本人の美意識も変わったってことなんだろか。